リスクマネジメント情報の広場 一覧

  • 12/30
    2024
    2024.12.30
    謝罪の場面での介護主任の接遇態度に激怒した家族、接遇ゼロ職員は経営リスク!

    《検討事例》                   ≫[関連資料・動画はこちらから] 
    ある特別養護老人ホームで職員の初歩的な介助ミスによって、利用者を転倒させてしまいました。幸い骨折はなく打撲で済みましたが、家族に謝罪することになりました。主任が相談員同席で息子さんに謝罪と事故の再発防止策を説明することとなり、施設に来てもらうことになりました。約束の3時前には相談員が相談室で準備をして、家族をお待ちしていました。10分前に家族(息子さん58歳)がお見えになり相談室お通ししましたが、肝心の主任が3時になっても現れません。相談員は「申し訳ありません、急なことが起こったのかもしれません」と言って待っていました。10分後に主任が相談室に現れましたが、短パンにTシャツ姿で頭にタオルを巻いたままで「すみません、入浴介助に入っていたもので」と言いました。
     息子さんは主任に向かって「失礼じゃないか!謝罪すると人を呼びつけておいて遅れて来た上に、なんだその恰好は!人をバカにするのもいい加減にしろ!」と激怒して帰ってしまいました。息子さんは翌日施設長だけでなく、理事長にも電話を入れて「あんな礼儀知らずを主任にした経営者の責任だ」と、理事長の責任にまで話が及びました。理事長は施設長に改善するように求めましたが、「現場の職員は接遇が苦手ですから」と消極的です。理事長は各施設でコンサルタント会社による研修を一斉に開催し、役職者を受講させましたが、その後も同様のトラブルが再発しました。

    《事例検討解説》
    ■役職者の非礼は組織の信用を失墜させる
    息子さんが激怒したのは、謝罪という最も接遇が重んじられる場面で、時間の厳守と身だしなみという社会人として最低限の接遇マナーが全くできていなかったからです。そして理事長にまでクレームを申し立てた理由は、接遇能力がゼロの職員が新入職員ではなく介護主任であったことです。
    そして、本事例のトラブルの対策として、理事長は役職者に対する外部のコンサルタント会社による、接遇研修の徹底を図りましたが効果はありませんでした。理事長は接遇研修を受ければ接遇スキルが向上すると考えたようですが、そもそもこの考え方が間違っています。
    サービス業において接遇は、サービスの質を向上させるためのスキルであると理解され、営業数字のプラスを目的とした経営戦略の一つに位置付けられます。もちろん、接遇スキルを徹底すれば、他社を差別化する経営戦略にもなりますが、もう一つ「接遇のリスク」という考え方も知っておかなければなりません。
    本事例のように社会人としての最低限の接遇もできない役職者が居れば、組織のマネジメント能力が疑われ、職員教育・規律・介護の能力全てが疑いの目で見られるのです。外食チェーンでは、アルバイトまで接遇マニュアルによる徹底した訓練が行われ、どの店員も全てが同じ品質を保ちます。これは「品質均一化のアピール戦略」と言われ、お客様から見えない衛生管理という大切な品質も守られていると安心感を与える目的があるのです。
    介護や医療ではサービス品質の考え方が、技術的面に偏りがちで接遇をないがしろにする傾向があります。しかし、企業を選ぶ消費者の目はその経営姿勢にも及びますから、接遇の徹底はマネジメント品質をお客様に伝える窓になっているのです。

    ■最低限の接遇ができない職員は経営リスクである
     接遇スキルの低さが原因でトラブルになるのは、最低限の接遇ができなかった時です。すると、最優先すべきは全職員が最低限の接遇を身に付けることです。単発的な外部研修への参加では全職員へ徹底できませんから、職場での継続した取組(訓練)が必要になるのです。
    ある接遇研修の講師の元ホテルマンはこう言いました。「研修会でカタチだけの接遇を学んでも意味がありません。接遇は理解するものではなく身に付けるものです。また上手なお辞儀よりも、細やかな気遣いの方が良い接遇なのです」と。元ホテルマンが指摘した具体的問題点は次の3点です。
    1.散発的な研修会ではなく組織的・継続的な接遇改善の取組でなければ身に付かない。
    2.難しい接遇技術の習得よりも最低限の基本動作を全ての職員に徹底すべき。
    3.他の業界の接遇方法を真似るより介護職員に相応しい接遇方法を学ぶべき。
     また彼は最後にこう言いました。「接遇スキルとは、“このお客様は何を望んでいるのか”を感じ取る能力を身に付けることです。ドアボーイはホテルに向かって近づいて来るお客様を観察して、『このお客様は何をして欲しいのか?』を10秒で判断するのです」と。では、具体的にはどのような取組が必要なのでしょうか?

    ■接遇向上の継続的な取組とは
    業界団体などが開催する接遇の研修会に、施設から一部の職員を参加させていますが、これはムダでしょう。なぜなら、一部の職員の接遇の知識が増えても、組織全体のレベルアップはできませんし、研修に参加した職員自身も知識として覚えても、訓練しなければ「できる」ようにはならないからです。
    接遇は研修で勉強するものではなく、施設の全ての職場の活動として定着させなければならないのです。具体的には、1年間職場ごとの小集団活動で取組むのが最も効果的でしょう。たとえば、1カ月に1つの身に付けるべき課題を設定し、ロールプレイングシートを使った接遇訓練をします。これを1年間継続して初めて、全ての職員が最低レベルの接遇の能力を身に付けて、組織全体としての接遇のレベルアップにつながるのです。
     施設には接遇が全くできない(社会人としてのマナーも身に付いていない)職員が必ず数人はいます。大げさに言えばこれらの数人の職員で施設の評価を下げているのですから、経営リスクなのです。これらの経営リスクを取り除くには、最低レベルの接遇しかできない職員をゼロにすることが最優先課題なのです。つまり、80点の職員を100点のレベルに引き上げるよりも、0点の職員を50点にしなくてはならないのです。

  • 12/30
    2024
    2024.12.30
    「職員による虐待がある」というホームページの問い合わせメールによる匿名の告発

    《検討事例》                   ≫[関連資料・動画はこちらから] 
    ある日、ある介護付き有料老人ホーム運営事業者のホームページの「お問い合わせメール」を通じて、匿名のクレームが送られてきました。ある職員を名指しで、利用者に対する5件の暴言が直接話法でリアルにしかもかなりの長文で記述されており、この職員による虐待を改善せよとありました。メールの終わりには「証拠があるので公表する用意がある」と記されていました。発信者は山田花子とありますが、家族に該当者はないので明らかに偽名です。
     本社のスタッフはすぐに担当役員に報告し、対応策を検討することになりました。担当役員は、告発者が誰か調査し名指しされた職員にも事情聴取するよう指示しました。告発者はメールアドレスからは分からず、施設長も心当たりはありませんでした。また、名指しされた職員への聞き取り調査も行われましたが、本人は頑強に否定しました。半月ほど調査しましたが、虐待の事実も特定できないため、「匿名の告発では対応のしようがない」として、そのままになりました。その後市役所に同内容の匿名の虐待通報があり録音データも添付されていました。また、有料老人ホームの紹介サイトにも書き込まれ、会社は致命的な痛手を受けました。

    《事例検討解説》
    ■なぜ会社は対応を間違えて致命的な痛手を受けたのか?
     クレームが発生した場合、どの会社でも次の2つの対応を行います。
    ①クレーム申立者が満足するようできる限り意向に沿う対応に努める。
    ②クレーム発生の原因を調査し落ち度があれば改善する。
    どちらも間違いではありません。しかし、本事例の場合申立者が匿名のクレームであることと、内容が職員の虐待行為に関わることですから、通常のクレームとは対応が異なり少し工夫が必要になります。
     まず、申立者が匿名ですから申立者から詳しい事実確認を行うことはできませんし、たとえクレームの原因が事実で改善が可能でも改善状況を伝える手段がありません。また、本事例のように、匿名であることを理由に「信憑性の無い訴え」「無責任な訴え」であると判断して、対応すべきではない(無視する)という対応方針もあり得ます。実際に、ある自治体では施設とフロアを特定した匿名の虐待告発が複数発生し、悪意の中傷告発である可能性が高いと分かっていても対応に苦慮しています。
     次に、虐待の疑いというクレームではそのほとんどが調査しても本人が告白しない限り、虐待の事実を確定することができません。当然本人を処罰したり、会社が虐待の事実を認めて被害者に謝罪するという対応も困難です。では、本事例の会社の対応は間違っていなかったのでしょうか?職員の事情聴取以外に対応方法は無かったのでしょうか?

    ■ 告発者の特定や本人の調査に意味はない
     本事例では、匿名の告発メールの発信者を調査したり、告発された職員の聞き取り調査などに時間を費やしていますが、この対応に意味はありません。心当たりの家族がいても告発者かどうか確認する訳にはいきませんし、名指しされた職員に告発内容を確認しても、本人が否定すればそれ以上の対応は不可能だからです。問題は、匿名の発信者の職員の暴言に対する改善要求に、どのように対応すれば良いかなのです。対応を誤れば、暴言の録音を公表されるかもしれませんし、老人ホーム紹介会社のサイトに書き込まれれば経営危機となるかもしれません。

    ■告発内容が事実かどうか判断する
     この匿名のクレームへの対応で重要なことは、この告発クレームが事実かどうかを経営者自身が判断することです。事実である可能性が高いと判断すれば、改善の対応をしなくてはなりませんし、事実でないと判断すれば一切の対応は不要で無視すれば良いのです。
     本事例の場合、暴言が直接話法でリアルにしかも長文で書かれていますから、「録音した音声を元に書かれており告発内容は事実である」と判断して良いでしょう。事実と判断すれば告発された本人が否定しても、事実であるという前提で改善の対応をしなければなりません。証拠がありませんから本人を懲戒処分にしたり、虐待通報する訳にはいきません。では、どのように対応したら良いのでしょうか?

    ■具体的な改善の対応
     職員本人には、「“あなたが虐待に該当する暴言を吐いた”という匿名のクレームがあり、会社としては事実であると判断しました。証拠がある訳ではないので一切処分はありません」と話します。次に名指しされた職員に不利益がないように配慮した上で、施設の掲示板に謝罪文を貼り出します。謝罪文は次のような趣旨で作成します。「職員の言動が不適切であるとのご家族からのご指摘をただきましたので、謝罪申し上げます。施設として改善の対応を行いましたので、ここに報告させていただきます」と、できる限り具体的な改善内容を明記します。このような対応で、本事例のような役所への虐待通報が避けられるかどうかわわかりませんが、会社として責任ある対応をしたことにはなるでしょう。

  • 12/30
    2024
    2024.12.30
    通所介護計画書に「歩行は常時見守り必要」と書いたが突然立ち上がったので防げなかった

    《検討事例》                   ≫[関連資料・動画はこちらから] 
    デイサービスの利用者Aさんが送迎直前に椅子から立ち上がり、転倒して骨折しました。Aさんは突然椅子から立ち上がりそのまま前方に転倒し腕を骨折したのです。デイルームには職員が4名居ましたが、誰も転倒場面は見ていませんでした。転倒の後すぐに会社勤めの長女に連絡を入れて、受診に同席していただきました。診察の後に相談員が長女に次のように事故状況を説明しました。「いつも“立ち上がる時には声をかけて下さい”とお願いして、そうしていたのに今日は声をかけずに突然立ち上がり転倒したので対応できなかった」と。すると長女は「通所介護計画では“歩行は常時見守り必要”となっている。見守ってくれなかったから転倒したのでしょう!」と強い不満を述べました。
    翌日所長が長女宅を訪問し、「介護計画書に“常時見守り必要”とあるのは、できる限り見守るということで、今回のように職員を呼んでくれないと防げない場合もある。それに、ヒールのある靴は危険なのでリハビリシューズにしていただきたいと以前申し上げましたが」と理解を求めました。しかし、長女は説明に一切耳を貸さず「私は勤めがあるのだから、通院の付き添いはデイサービスですべきだ」と主張します。通院の介助のみ仕方なく承諾しましたが、数日後に長女は市に苦情申立を行い、「“転倒しないように見守る”と言っていたのに約束が違う。転倒したのを履物のせいにしている。私の休業補償も出すべきだ」と書いてありました。

    《事例検討解説》
    ■過失を明確にせずに理解を求めてはいけない
     多くの施設や介護事業者は事故が起きた時、過失の有無や賠償責任の判断をうやむやにしたまま、事故の説明に臨んでしまいます。「対応が難しい事故であると理解を求めるがなかなかご理解をいただけない」というように、精一杯努力したことをアピールして理解してもらおうとしますが話は前に進みません。介護や福祉関係の方は、相手と対立することを避けようとする傾向があり、相手の意に沿わないことをはっきり言いたがらないのです。しかし、事故で実損害が出ている以上、施設に過失のある事故なのかどうかが、交渉の大前提になりますから、この判断を避けて通ることはできません。
     では、この事故は施設の過失になるのでしょうか?Aさんの転倒事故は施設が安全配慮義務を怠ったために起きた事故なのでしょうか?過失の判断は予見可能性と回避可能性の2つの基準で判断されますから、椅子から立ち上がり転倒することが予見できたのか?予見できたとすれば転倒を回避することが可能であったかという点を判断しなければなりません。Aさんが突然立ち上がり転倒することは予見することも回避することも現実的には不可能であり、この事故は施設の過失とはなりませんから、本来であれば賠償責任は生じません。
     ところが、この事故は施設側に過失がないのに賠償責任は発生するという珍しいケースなのです。事故に関して施設の過失がないのに賠償責任が発生することは通常はあり得ません。では、なぜこの事故は賠償責任が発生するのでしょうか?その理由は、介護計画書に“歩行は常時見守りが必要”と記載してしまったからなのです。

    ■介護計画書に記載してできなかれば契約違反
     「介護計画書は契約書と同等の法的拘束力がある」というのが、法律の専門家の一致した意見です。つまり、「常時見守りを行う」と書いてしまえば、たとえ実行が無理な事でもこれを怠って事故が起きれば債務不履行(契約違反)として賠償責任が生じるのです。ですから、介護計画書には実際にはできないことを気合で書いたり、誤解を招くような曖昧な表現は避けなければなりません。ところが、実際に介護計画書をチェックしてみると「絶えず注意を怠らないようにする」「見守りを欠かさないよう職員間で徹底」など、曖昧な表現や厳密にはできないことがたくさん書いてあります。
     Aさんの長女は「歩行は常時見守り必要」と介護計画書に書いてあったので、絶えず職員が見守ってくれるのだから転倒は防げると受け取ったのです。介護計画書にリスクや事故防止対策を記載することは良いことですが、防げない事故を防げると誤解させるような文章では逆効果です。では、介護計画書に事故のリスクや防止対策について記載する時にはどのように記載したら良いのでしょうか?「リスクを具体的に記載すること」「職員が実際に行う事故防止の取組を具体的に記載すること」の2点がポイントになります。(モデル参照)

    ■通院の介助など“自前補償”は更に大きなトラブルとなる
    次にこの転倒事故では、事故後に長女から「通院の付き添いはそちらでして欲しい」という要求を受け入れてしまいました。通常事故の補償は全て金銭で賠償します。ところが、介護事業者は自らの役務の提供で、事故の補償をしようとするケースが多いので注意が必要です。ショートで事故に遭った人を無料で入所させてお世話をしたり、施設でケガをした人を無償で併設の病院で治療するなど自らの役務の提供で補償するのです。
    このように自らの手で補償することで誠意を見せようとする意図があるようですが、“自前補償”といって様々な弊害が生じています。まず、金銭の補償であれば一定の節度がある要求も、自前補償をすると「あれもこれも」と要求がエスカレートする傾向があります。事業者側の誠意が贖罪の証のように受け取られて、「もう少しやってもらっても当たり前」という気持ちにさせるようです。
    また、施設で起きた事故の補償として入所させて介助していたら、再度足に傷がついてクレームとなり退所を促せなくなり長期間無償で預かった事例もあります。補償の実行については利用者側の自己責任で別の事業者を手配をしてもらい、かかった費用を金銭で支払った後に損害保険金の請求を行うべきなのです。

    ■安全な履物はリハビリシューズではない
    このデイサービスでは「安全なリハビリシューズを替えるようお願いしたのに、ヒールのある靴を履いきたことも事故の原因だから利用者側にも落ち度がある」と言いたいようです。しかし、ヒールのある靴は危険なのでしょうか?リハビリシューズは安全なのでしょうか?ある老健で次のような事故がありました。
    ある利用者がショートステイの入所の時にスリッパを履いてきたのです。老健側です「スリッパなんてそんな危険な履物はダメ!」と決めつけて、リハビリシューズに履き替えさせましたが、その3分後に転倒して骨折してしまいました。怒ったのは家族です。なぜなら、その利用者は居宅で毎日スリッパを履いているのに転ばないのですから。ゴム底の靴は施設のビニル床材と相性が悪く突っかかって転ぶことが多いのです。履きなれない人にとっては歩きにくく大変危険なのです。
    安全な履物は通常「日頃から履き慣れている靴」であり、家族の納得も得やすいのです。ですから、施設側が一方的に決めつけるのではなく、「履き慣れた靴が安全な歩行には欠かせませんので、履き慣れた安全な靴でご来所いただくようご家族の配慮をお願いします」と、家族に依頼してお任せすれば良いのです。

  • 12/30
    2024
    2024.12.30
    夜間に転倒して経過観察中の利用者に何も知らないPTがリハビリを行い大クレームに!

    《検討事例》                   ≫[関連資料・動画はこちらから] 
    Mさんは、老健に入所している左片麻痺の軽い認知症がある女性利用者です。脳血管障害の後遺症で麻痺が残りましたが幸い軽度だったので、リハビリに熱心に取り組んでいます。ある晩Mさんはポータブルトイレを使おうとして、ふらつき転倒してしまいました。対処したナースは打撲した膝に湿布薬を貼り、翌日まで様子を見ることにしました。翌朝日勤との申し送りで、Mさんが転倒して経過観察中であることを口頭で伝えました。また、相談員は早朝家族に事故の連絡をして、痛むようであれば受診させると伝えました。
     ところが、その日の早朝に家族が利用者を心配して様子を見に来ると、居室にいるはずのMさんが居ません。介護職員に尋ねると「今日は機能訓練の日なので、PTが機能訓練室に連れて行きました」と答えました。家族は驚いて「夕べ転倒した母になぜリハビリをするのか?」と強く抗議しました。Mさんの機能訓練は即時中止し、念のために受診することになりました。受診の結果Mさんは麻痺側の左大腿骨頚部を骨折していることが判明し、「骨折している母にリハビリをするとはどういうことか?」と大きなクレームになりました。施設長は「PTに事故の情報が伝わっておらず申し訳ない」と謝罪しました。

    《事例検討解説》
    ■トラブルの原因はPTの確認ミスか?
     PTは機能訓練を行う前に、利用者の心身の状況を正確に把握し、機能訓練に適した状態であるかを的確に判断しなければなりません。体調がすぐれない、関節などの痛みがある、認知症の利用者で精神状態が安定していないなど、リハビリ(機能訓練)に支障があるような状態であれば、中止しなければなりません。
     しかし、認知症の利用者本人から生活状態や前日の出来事を詳細に聞き出すことは難しく、毎回機能訓練のたびにチェックを徹底することは困難です。ですから、Mさんを機能訓練に連れ出す前に、Mさんの心身の状況などについて情報が確認できるような仕組みを作っておかなければなりません。
    前日の晩に転倒して応急処置をして経過観察中というのは、「ひょっとしたら骨折しているかもしれないし、頭部を打撲しているかもしれない」という、容態が不明確で不安な状況にありますから、Mさんに関わる全ての職員が転倒事故の情報を共有して絶えず気に掛けるべきなのです。介護職員が転倒の情報を知らずに、いつもと同じ方法で排泄の介助をしてしまうかもしれません。
    Mさんのベッドの床頭台の近くの壁に「○月○日夜転倒あり、経過観察中です」と転倒の情報を貼っておくだけでも、PTはMさんを機能訓練に連れ出すことは避けられたはずですし、他の職員が関わる時にも配慮ができます。では、この経過観察中に利用者への対応はどのようにすれば、職員は適切な関わりができるようになるのでしょうか?

    ■経過観察中の利用者への対応が決まっていない
     「転倒したが経過観察中」という状態は、結果的に骨折していれば事故ですが、骨折がなければヒヤリハット、という対応がしづらい不明確な状況です。ですから、この時点では事故報告書やヒヤリハットシートなどの帳票が、未記入であることが少なくありません。当然、転倒した翌朝の時点で事故報告書が提出され、全ての職員に情報が伝わっている施設は少ないのです。
    しかし、「最悪の事態を想定して対処する」ことが、リスクマネジメントの基本ですから、経過観察とした場合でも事故報告書を起票し、骨折の可能性があるという情報を職員が共有できるようにルールを変えなければなりません。
    では経過観察の場合も事故発生として事故報告書の起票というルールに変えたら、事故情報が翌朝には職員全員に共有されているでしょうか?多くの施設では事故報告書が起票されても、事故情報は全職員に行き渡る仕組にはなっていません。
     少なくとも、転倒して利用者の職場の申し送り事項として必ず口頭で注意を促す必要がありますが、他職種の職員に情報共有を徹底することはそれほど簡単ではありません。では、どのようなルールであれば、事故報告書を起票すれば全ての職員に事故発生の事実を知らせることができるのでしょうか?
     
    ■事故報告の仕組の不備で情報共有ができない
    本来事故報告書には、次の3つの機能が必要とされます。
    ①事故直後に迅速に職員が事故情報を共有するための速報機能
    ②事故原因の究明や再発防止策の検討のための基礎情報としての機能
    ③事故後の交渉経過など解決までの経過管理のための機能
    ところが、どの施設でも①の速報機能が欠けているために、職員間での迅速な事故情報の共有ができていないのです。ある施設では、事故報告をパソコンで管理するように変更した時、この速報機能に着目して、システム化をしました。つまり、事故が発生したら判明している事実だけ事故報告書のパソコン入力を行い、「事故速報」という帳票をプリントアウトして、ヘルパーステーション、ナースステーション、リハビリ室などの関係部署に全てFAXし、掲示板に貼り付けるようルール化したのです。
    このシステムは職員の手作りで、現場の事故カンファレンスシートや市町村への事故報告のフォームも出力できるため、同じ書類が書く手間が無くなり効率化にもつながりました。

  • 12/30
    2024
    2024.12.30
    原因不明の骨折のトラブルの後に顔面に原因不明の内出血、家族が市と警察に通報

    《検討事例》                   ≫[関連資料・動画はこちらから] 
    Hさん(女性89歳・要介護5)は、自発動作が乏しい重度の認知症の利用者で、半年前に特別養護老人ホームに入所しました。ある時Hさんの娘さんが、面会時に拘縮のある左上腕に腫れを発見し、看護師に報告しました。看護師が嘱託医に連絡すると「上腕骨骨折の可能性があるので受診するようにと指示がありました。
    看護師が家族を一緒に整形外科を受診すると、左上腕骨螺旋骨折と診断されました。娘さんは、「動けない母が自分で骨折する訳がない。職員が介助中に骨折させたのだろう」と訴えます。相談員はHさんの介助に当たった職員に事情を聴きましたが、誰も心当たりがないと言います。相談員が「職員に聞き取り調査をしたが分からない」と報告すると、娘さんは「そんな調査で分かる訳がない」と更なる調査を要求します。
    結局原因は判明せず納得の行く説明もなく、1か月後にHさんの骨折の治療が終わり退院して再入所しました。ところが、退院して再入所した3日後に、面会に来た娘さんがHさんの顔を見ると、左眉の上が大きく腫れて赤く内出血しています。娘さんは介護主任を呼び「どこにぶつけたの?」と問いただしましたが、「先ほど定時のオムツ交換でパッドを交換しましたが、ぶつけることは無いと思います」と言います。娘さんは、電話で市に虐待通報した後、警察に行き「何度も虐待が起きているから調べて欲しい」と訴えました。その後2ヶ月も役所や警察への対応を余儀なくされ、専門家のアドバイスのもとに調査報告書を提出して虐待認定を免れました。

    《事例検討解説》
    ■原因不明の傷・アザ・骨折を防げるか?
     どんなに注意しても傷やアザは付きますし、どんなにていねいに介助しても寝たきりの利用者の骨折は防げません。ていねいに介助することはもちろん大切ですが、このようなトラブルになりやすい事故については、家族対応の備えをしておかなければなりません。本事例の対応のどこに問題があるのでしょうか?
     まず原因不明の骨折が発見された時、職員の聞き取り調査をして「分からない」と報告しています。娘さんの言う通り聞き取り調査だけで原因が分かる訳がありません。では、どのような調査をして回答したら良いのでしょうか?また、骨折の場合は傷やアザと異なり治療費などの金銭的な損害が発生します。この損害は家族と施設のどちらが負担したら良いのでしょうか?
     次に顔面の内出血の原因を尋ねられた時に、「介助中にぶつけることは無いと思います」といい加減な安易な対応をしています。自発動作が乏しい重度の利用者がどうやって自分で顔にアザを付けるのでしょうか?こんな責任逃れのいい加減な対応では腹を立てるのも無理がありません。
     このような虐待の疑いにつながる原因不明の傷・アザ・骨折に対しては、あらかじめ家族対応をマニュアル化してトラブルを防がなくてはなりません。私たちが作っているマニュアルのポイントをご紹介しましょう。

    ■原因不明の骨折への対応
     自発動作が乏しい利用者の場合、原因不明の骨折が判明したら最初に治療費負担についての説明を行わなければなりません。本事例の治療費はどちらが負担すべきなのでしょうか?全く自発動作が無ければ娘さんの言う通り、自発動作によって骨折する可能性はゼロですから、介助中の事故とみなされ施設の過失になります。裁判になっても答えは同じです。ですから、施設長が病院に急行して賠償責任について説明し、すぐに保険会社の了解を得ておきます。
     次に、骨折の原因を調査し報告することを家族に伝え原因調査を行います。この時重要なことは、医師に骨折の種類(骨の折れ方)を聞いておくことです。骨折の種類は「断裂骨折」「螺旋骨折」「粉砕骨折」の3つに分かれ、外力のかかり方が違います。断裂骨折は強い圧迫、螺旋骨折は捻じれ、粉砕骨折は他物との衝突によって起きますから、原因調査には大きな手掛かりになるのです。
     次に受傷時間帯を調べます。前の晩20時の就寝介助時に異常が無かったことが確認されていれば、その時間から骨折発見時までに受傷したことは確実です。本事例であれば、この受傷時間帯の介助場面で捻じれて骨折するような介助場面を検証すれば良いのです。介助場面の検証は、介助方法を再現してビデオに撮影しておきます。本事例の骨折は「更衣の介助時に無理な着せ方をした場面」と「車椅子移動で腕がブランと車椅子の外に出ていた場面」のどちらかが骨折の原因であると報告しました。

    ■原因不明の傷・アザへの対応
     原因不明の傷・アザが発見されたら看護師に報告し処置をしてもらいますが、看護師は処置の前にデジカメで患部を撮影します。受傷場面の推定が難しいような傷・アザの場合、後で整形外科の医師に診てもらうためです。
     次に骨折同様に受傷時間帯を推定して介助場面をリストアップして、受傷の可能性の高い介助場面を検証します。この時役立つのが「他物との接触状況の推定表」です。どんなものに接触するとどんな傷やアザができるのかを示した表です。例えば、浅く広い擦過傷はザラザラしたものに擦れたために、皮膚が広く細かく傷付いてできますし、広くぼんやりした内出血のアザは丸みのあるものに衝突してできた内出血で、皮下の深い部分が出血してできます。
     最後に、受傷の可能性の高い介助場面で接触した他物を推定して報告します。もちろん、「足を守るためのフットレストカバーを付ける」など、受傷事故の再発防止策も説明します。本事例では、オムツ交換で体位を交換する場面でベッド柵にぶつけた可能性が高かったため、「オムツ交換は必ずベッド柵を外して行うことを徹底しました」と説明してご納得いただきました。

    ■虐待を疑われた時の対応
     家族に虐待を疑われた時や、市に虐待通報された時には、虐待による受傷について検証しなければなりません。
    1.重大なクレームとして管理者が受け付ける
    2.管理者自ら調査を行う
    ・「虐待の疑いというクレームが発生したので調査を行う」とを職員に伝える
    ・「他の利用者の身体に同じような傷がないか」を調査する
    ・日頃の介助の状況について主任にヒヤリングを行う
    3.調査の結果を踏まえて虐待の可能性を管理者が判断する
    ・他の利用者に傷は無く不審な点が無い場合➡「虐待は無い」と判断
    ・他の利用者に同じ傷が発見された場合➡「虐待の可能性が高い」と判断
    4.調査の結果を申立者に説明する
    【虐待は無いと判断した場合】
    ・管理者として最終的に虐待は無いと判断したと説明する
    ・公的な苦情申立機関を説明する
    【虐待の可能性が高いと判断した場合】
    ・管理者として最終的に虐待の可能性が高いと判断したと説明する
    ・「市と警察に相談しながら、事実の解明を進める」と伝える
     虐待については上記のような対応になりますが、調査報告書では次の5項目すべての可能性を検証します。
    1.故意に傷つける目的で暴行し受傷させた(虐待)
    2.虐待の意図はなく乱暴な介助によって受傷させた(不適切なケア)
    3.危険な介助方法で介助して受傷させた(ルール違反など)
    4.介助中の介助ミスによって受傷させた(ミスによる事故)
    5.介助中の不可抗力的な偶発事故で受傷させた(不可抗力の事故)
     このように、虐待のクレームや虐待通報になると大変な労力がかかりますから、虐待を疑われないような適切な家族対応が必要なのです。

  • 12/30
    2024
    2024.12.30
    監査で「身体拘束」と指摘され利用者のY字ベルトを外したら車椅子から転落

    《検討事例》                   ≫[関連資料・動画はこちらから] 
     Rさん(72歳・女性)は、脳血管障害による下半身麻痺がある要介護3の在宅の利用者です。月1~2回程体度ショートステイを利用しています。Rさんは軽度の体幹機能障害があり、車椅子移動の時に左右に上半身が傾き、車椅子から落ちそうになります。Rさんのご主人は、医師に相談しY字ベルトを購入してRさんに装着し、認知症が無いRさんも「ベルトをしていれば安心」と言います。
     ところが、Rさんがショートステイを利用した時に役所の監査が入り、監査担当者が「Y字ベルトは明らかな身体拘束、すぐに外しなさい」と職員に厳しく指導しました。職員は「利用者本人が了解しており家でもベルトをしている」と反論しましたが、「在宅は良いが施設はダメだ」と言われました。仕方なくRさんのY字ベルトを外して、ご主人に電話で了解を求めました。ところが、ご主人は、「車椅子から落ちたらどうするんだ」と言ってすぐに施設に駆けつけてきました。ご主人が到着する少し前にRさんは車椅子から転落し、ご主人は施設長に「誰が責任を取るんだ」と抗議してきました。

    《事例検討解説》
    ■この利用者のY字ベルトは身体拘束か?
     身体拘束とは「ベルトや帯などを使って一時的に介護を受ける高齢者等の身体を拘束したり、運動することを抑制する等、行動を制限すること」とされています。このような物理的な強制力によって行動を制限する他にも、言葉で脅したりベッドを高くして「怖くて降りられない」ようにするなど、精神的に圧力をかけて行動を制限することも含まれます。
     さて、では体幹障害によって車椅子上での体幹維持が難しいRさんの上半身をY字ベルトで支えることは、身体拘束に該当するのでしょうか?私たちは、身体拘束については次の2つのポイントでその是非を判断しています。
    1.その身体拘束によって、利用者はどのような行動をどの程度制限されているのか?
    2.行動を制限されているとしたら、行動制限によって得られる安全などの利益と身体拘束によって発生する弊害のどちらが大きいか?
     例えば、多くの入所施設ではエレベーターにセキュリティを付けて、認知症の利用者がフロアから出られないように行動制限をしています。しかし、これらの行動制限を身体拘束と言って問題にする人はいません。なぜなら、フロアに閉じ込められても閉塞感は感じませんし、行方不明の防止のメリットの方が大きいからなのです。身体拘束を外見だけで判断する人が多いのですが、重要なことはその人にとって利益を弊害のどちらが大きいのかをキチンと判断することです。
    このように考えればRさんは、下半身麻痺で車椅子から立ち上がる身体機能がありませんから、Y字ベルトを付けても何ら行動制限にはなりません。また、仮に何らかの行動を制限されているとしても、車椅子からの転落防止などの体幹の維持によるメリットのほうが、弊害をよりも大きいのは明らかです。ですから、身体拘束にも該当しませんしY字ベルトを外す必要も無かったのです。

    ■身体拘束でないことをどのように説明したら良いか?
    役所の監査担当者はショートステイの利用者の身体機能の状態まで把握していませんから、車椅子のY字ベルトを見れば外見だけで判断して「身体拘束である」と考えるかもしれません。しかし、Rさんは立ち上がる身体機能が無く、行動制限をされていませんし、Y字ベルトが無ければ転落の危険もありますから身体拘束の指摘は間違っています。
    このように、一見身体拘束に見えても、生活行為に必要な姿勢を保持するための用具は福祉用具に該当します。介護保険施設でY字ベルトをしているとすぐに身体拘束と思われますが、身体障害者施設に行けばRさんのような利用者はたくさんいるのです。では、施設はどのように監査担当者に対応すれば良いのでしょうか?
    まず、利用者の身体機能と生活状況をきちんと説明して、Y字ベルトによる行動制限が無いこと、Y字ベルトが生活維持に必要な福祉用具であることを説明しなければなりません。場合によっては、Rさんのかかりつけ医に意見書を書いてもらうという手段も考えられます。
    3年前の身体拘束廃止の規制強化以来、身体拘束でないものまで「身体拘束である」と指摘されている施設がたくさんありますが、いずれも身体拘束の本質が役所に説明できていません。役所の指摘を鵜呑みにせず、利用者の生活を中心にきちんと説明しなければなりません。ただし、本事例について一言言わせていただければ、Y字ベルトは見た目が悪いですからひざ掛けなどで覆って、目立たないようにするくらいの配慮はあっても良かったと思います。

  • 12/30
    2024
    2024.12.30
    パワハラ防止法対策で相談窓口を設置したが職員からクレームが殺到

    《検討事例》                   ≫[関連資料・動画はこちらから] 
    S社会福祉法人では、4月にパワハラ相談窓口を設置しサービス向上課のM課長が担当者となり、職員に周知する文書を配布しました。すると早速、A特養のBさんから相談の申し込みがあり、課長が相談室で話を聞くことになりました。
    課長は「あなたはA特養のBさんね、どんな相談なの?」と言って、受付表に氏名を記入しました。Bさんは「上司から暴言を吐かれました。パワハラだと思うので注意してもらえませんか?」と言います。M課長が「どんな暴言なの?」と聞くと「私の口からは言えません、私が言ったって上司にバレちゃいます」と言います。「でも、本人に注意するにはどんなパワハラか分からなければ注意しようがないでしょ」と課長が言うと、「もういいです」と言って帰ってしまいました。後日Bさんから「匿名も可というから相談に行ったのに名前を書かれた、信用できない」と、総務部長にクレームが入りました。
    しばらくすると、CデイサービスのD職員が相談に来ました。D職員は「所長が利用者を増やすためにチラシを配布しろと強要します。パワハラですから止めさせてください」と言います。課長は「所長には止めるように指導します。あなたの名前は出さないようにするわね」と言って、すぐに所長に止めるよう指示しました。今度は、所長が「それはパワハラではない、Mさんは勉強不足だ」と異議を唱えてきました。
    《事例検討解説》
    ■トラブルが頻発した原因は何か?
     S社会福祉法人のパワハラ相談窓口の対応はなぜ最初からトラブルになってしまったのでしょういか?M課長の対応を検証してみましょう。
     まず、パワハラ相談窓口を「匿名可」にする必要はありませんが、幅広く相談に対応するためには、「匿名可」が望ましいでしょう。しかし、相談方法を「匿名可」としている場合は、相談者の氏名が判っていてもいきなり受付表に氏名を記入してはいけません。
    「匿名可」の場合は、相談を開始する前に次のように確認します。「あなたの名前をお聞きしても良いですか?匿名希望の場合この受付表の氏名欄を空欄にしておくこともできます。氏名を記載しても、社内で公表したり、上司にあなたの氏名を告げることはありませんが、どちらにされますか?」と。ただし、匿名の相談の場合は相談窓口の相談だけに留まり、正式にパワハラ事案として会社が是正対応に乗り出すことはできませんから、そのことも説明が必要です。
     次に、デイサービスの職員への対応では相談者のパワハラ主張を真に受けて、いきなり是正対応を始めていますが、これは間違いです。パワハラ窓口の相談から是正対応への手順をきちんと決めておかなければなりません。是正対応に移るまでに確認すべきことがたくさんあります。パワハラ行為の要件の確認、行為の事実確認、被害と救済方法の確認、是正対応方法の本人への確認などです。
     ちなみにD職員は「チラシ配布は自分の業務ではないから業務の逸脱である=パワハラ行為である」と勝手に判断していますが、業務の逸脱は3要件の一つですからこれだけではパワハラ行為には該当しません。また、介護職員に利用者拡大のためのチラシ配布を業務として命令することは、会社の裁量権の範囲内ですから業務の逸脱でもありません。最近では「自分の気に入らない業務命令をパワハラである」と主張する職員が増えていますから、「パワハラには該当しない」という明確な根拠も説明しなければなりません。
     このように、細かい対応手順が決められないまま相談業務を始めると、M課長のようにトラブルを一身に抱え込むことになってしまいます。では、相談窓口の対応方法や相談以降の会社の是正対応はどのように決めたら良いのでしょうか?

    ■職員のパワハラ相談への対応とは?
     実はパワハラ相談窓口の対応方法はそれほど簡単ではありません。相談後の会社の是正対応とも連動しなければなりませんから、あらかじめ会社の対応の流れを決めておく必要がありますし、相談者への説明も必要です。社内の対応の流れはだいたい次のようなものです。
    ①パワハラ被害を訴える相談者の主張内容の確認
    ➡行為者がどのような言動をしたのかを具体的に聞き取り記録します
    ②訴えがあった行為がパワハラに該当するかの評価
    ➡法律で定められた3要件に該当するか検証して行為を評価します
    ③要件に該当しない場合はパワハラ事案として取り上げないことを相談者に説明します
    ➡要件に該当しない場合でもコンプラ上問題があれば会社が独自に対応します
    ④パワハラの要件に該当した場合の事実確認
    ➡要件に該当した場合、行為を行った本人や周囲の職員に事実を確認します
    ⑤パワハラ行為と認定した場合の会社の対応方法を被害者に確認する
    ➡被害の救済、行為の是正方法などについて被害者に確認して会社の対応を決めます
    ⑥懲戒処分が必要な場合は会社が独自の裁量で処分を行います
     ➡「処罰して欲しい」と訴える被害者もいますが、懲戒は会社の規定に沿って行われ、被害者の要求には従えません
     
    以上のようなパワハラ行為に対する会社の対応手順を踏まえて、相談窓口ではどのような点に注意すれば良いのでしょうか?私たちが作成した「パワハラ相談窓口対応マニュアル」から、一部をご紹介しましょう。
    1.相談窓口対応の趣旨説明
     相談窓口に来る職員は「パワハラかもしれない」と相談するだけの人から、確信を持ってパワハラ行為の被害救済を訴える人まで様々です。広く相談に応じるためには、相談窓口の趣旨を説明し、パワハラに該当した場合の会社の対応方法も説明します。
    2.相談者の氏名の確認
    匿名の場合は会社の記録に氏名が残りませんが、匿名のままでは是正対応にも限度があることを説明します。
    3.パワハラ行為者への調査について説明
     たとえ訴えの内容がパワハラ行為に該当しても、相談者の許可なくパワハラ行為者への調査を行わないことを説明します。
    4.訴えを具体的に確認する
     相手の訴えが「暴言を吐いた」「暴力的な振舞いをする」など表現があいまいな場合は、どのような言葉を言ったのか、どのような行為をしたのかを確認します。
    5.相談者はなぜパワハラ行為と考えたのか確認する
    相談者がパワハラ行為の要件を正確に知っている訳ではありませんから、パワハラの指摘が間違いかもしれません。どのような行為をパワハラ行為と考えたのかを尋ねます。
    6.相談者の要望を確認する
    相談者が現在受けているハラスメントに対して、どのような対応を望んでいるのかを確認します。なるべく穏便に済ませたいと考える相談者に対しては、会社の厳正な対応を強制しないようにします。
    7.相談者の健康被害の確認
    パワハラで発生する被害はそのほとんどがメンタルの不調で、身体に様々な変化が現れますから、具体的に例示して被害の有無を確認します。健康被害の回復が最優先であることを説明します。
    8.会社の是正対応(匿名の場合と氏名を記録した場合の対応)
    相談者の氏名を匿名とした場合、会社は正式に事案として取り上げることができませんから、調査や是正措置が難しくなりますので、このことを説明しておきます。
     
    これがマニュアルの全てではありませんが、相談窓口の対応が難しいことはお分かりいただけたと思います。本事例のように「法律への対応上必要だから」と窓口を設置して、対応は担当者に丸投げしてしまった法人が多いですから、担当者が困らないように細部をマニュアル化してあげてください。

  • 12/30
    2024
    2024.12.30
    職員のすぐそばで突然立ち上がり転倒、「見守りを怠った職員の過失」と主張する家族

    《検討事例》                   ≫[関連資料・動画はこちらから] 
    ショートステイを継続的に利用しているMさん(88歳・女性)は、立位の保持はできませんが、立ち上がることができます。認知症が重度で車椅子上で急に立ち上がることがあるので、職員がそばで見守りをしています。
     ある日の午後、Mさんはデイルームの車椅子上で居眠りをしていました。職員はMさんのそばで介護記録を記入しながら、Mさんを視界に入れて見守りをしていました。その時Mさんがいきなり立ち上がり一歩も足を踏み出さずに、両足をそろえたまま前方に頭から転倒しました。職員は視界の中でMさんが動いたことに気づきましたが、顔を上げてMさんのほうを見た時には、すでに転倒していました。
     Mさんが額を強く床に打ち付けたため意識不明となり、救急搬送されましたが意識は戻らず2週間後に病院で亡くなりました。転倒事故発生時の説明にいったん家族は納得しましたが、1か月後に代理人の弁護士から内容証明郵便で、損賠賠償金の請求書が届きました。請求書には「介護職員がすぐそばに居たのであるから、十分に注意していれば事故は容易に防げたのであり、注意を怠ったことに過失がある」として、「賠償金として4,000万円を請求する」とありました。施設では過失を認めましたが、保険会社は賠償金額が高額であるとして裁判で争う構えです。
    施設長は、「立ち上がりの行動がある認知症の利用者には、もっと注意して見守りをするように」と、職員に指導しました。

    《解説》
    ■職員が近くに居ても転倒は防げない
    本事例のように、職員がそばで見守りをしている時に、利用者が突然転倒し駆け寄ったが間に合わずに転倒させてしまう事故が、施設では頻繁に起こります。管理者は「そばで見守っているのだから注意していれば転倒は防げるはず」と考えているので、「もっと注意して見守りをすべき」と指導します。また、本事例のような賠償金を請求してくる弁護士も同様に、「介護職員がすぐそばに居たのであるから、十分に注意していれば事故は容易に防げたはず」と決めつけます。事故が裁判になった場合の裁判官の判断もほとんど同じです。
     しかし、そばに職員が居たからと言って、常時利用者に顔を向けてじっと見守っていることはありませんから、近くに居たからと言って転倒が防げるはずがありません。また、仮に職員が利用者を注視している時に転倒事故が起こったとしても、すぐに駆け寄って利用者を支えることができるかも疑問です。このように、利用者の近くに職員が居るような場面で転倒が起こっても、現実に防げるケースはわずかなのです。
    ところが、「介護職員がすぐそばに居たのであるから、十分に注意していれば事故は容易に防げたはず」と主張されると、施設も過失を認めてしまいますし保険会社も仕方なく保険金を支払ってしまいます。介護現場の状況をよく考えてみてください。介護職員はプールの監視員とは異なり常時利用者が転倒しないように注視している訳ではありませんから、何の予兆もなくいきなり転倒する利用者を駆け寄って支えるなどということは不可能なのです。
    ■科学的な根拠が無いから無過失を主張できない
     さて、前述のように防げる確率が低い事故なのに、安易に過失と認定されてしまうのは、なぜでしょう?理由は、職員が近くに居るとどれくらい転倒が防げるかの科学的実証データがないことです。弁護士や裁判官のみならず、介護の現場でも「転倒事故は注意して見守っていれば防げる」と管理者や職員自身も考えていますから、過失と認定されても誰も異議を唱えません。
     しかし、「転倒防止のためにもっと注意して見守りなさい」という現場の指導のせいで、介護職員は大変大きな負担を強いられている現状があります。また、「立ち上がるから転倒する、立ち上がらないように座っておいてもらおう」などと考える職員もいますから、身体拘束の問題にもつながるのです。
     では、「職員がそばに居ても転倒は防げない」という科学的実証データがあったら、賠償請求や訴訟のみならず、現場での転倒防止対策の考え方も変わるのではないでしょうか?「この利用者の転倒事故は防止確率が10%とほとんど防げないのだから、転倒した時骨折しないような対策も考えよう」とならないでしょうか?
     さて、弊社(株式会社安全な介護)では、職員がそばに居て利用者が転倒した場合、どれくらいの確率で転倒事故が防げるのか、実証実験を行い転倒防止確率が低いことを科学的実証データとして確認しました。実証実験のデータを一部ご紹介します。
     今後は裁判や現場の事故防止活動においても、これらの科学的実証データを活用して、合理的な過失判断を行うとともに、現場の転倒防止活動の見直しをしていただきたいと思います。
    ■転倒防止可能性実証実験の結果は?
    ≫実証実験の結果 

  • 11/28
    2024
    2024.11.28
    おもしろ半分のイタズラで、認知症利用者の髪にリボンを結んでブログにアップした職員

    《検討事例》                   ≫[関連資料・動画はこちらから]  
    専門学校を卒業して4月に入社した女性介護職員Aは特養に配属されました。ある晩、Aは夜勤職員として就寝の介助をしていました。認知症のある女性利用者Mさんの居室で、なかなか寝ようとしないMさんの髪にリボンを8つ結びました。Mさんが喜んだので、Mさんの顔をスマホで写メして、自分のブログに載せました。ブログには「認知症のおばあちゃんは可愛い」と書き込みました。
     Aは自分のブログに施設名を実名で掲載していたため、Mさんの孫がおばあちゃんの施設名で検索をかけた時に、このブログがヒットして写真を発見しました。祖母の写真を見つけた孫はすぐにお父さん(Mさんの息子さん)にこのことを知らせました。激怒した息子さんは「この介護職の行為は虐待だ、訴訟を起こすぞ」と施設長に迫りました。
     施設長はすぐにA職員を呼び、Mさんの髪にイタズラをした事実を確認し、Aの行為が高齢者虐待であり許されないことであると厳しく叱責しました。Aは泣きながら「そんなつもりはなかった」と訴えましたが、施設長は市に虐待事件として通報し、個人情報の漏洩事故としても事故報告をしました。施設の主任以上の役職者は深刻な事態ながらも、「介護職員としてあり得ないことだ、理解しがたい」と一様にため息をつきました。
    施設長はAの将来も考えて依願退職で済ませようとしましたが、Mさんの息子さんが納得しないため、介護職員Aを懲戒解雇処分としました。市から改善計画書を求められ、施設長は再発防止策として「介護職のモラルアップのために職員教育を徹底する。そのために毎朝全職員で倫理要綱を唱和する」と書きました。
    《解説》
    ■なぜ施設長は虐待行為と判断したのか?
     判断能力の無い認知症の利用者の髪に、たくさんのリボンを付けて写真に撮る行為は虐待行為です。施設長が適切な対応を行ったため、息子さんも理解を示して訴訟を思いとどまりました。本人が肉体的・精神的な苦痛を感じなくても、認知症の利用者の人格を貶める行為は虐待行為と認定されます。
    12年前、特養で認知症の利用者に性的な暴言を吐き家族に録音されるという前代未聞の事件が起こりましたが、市はこの行為を性的虐待と認定しました。認知症の利用者本人が暴言を理解できなくても、人格を貶める行為は、人の尊厳を損なう人権侵害であり虐待行為なのです。
     また、ブログに認知症の利用者の写真を掲載するという行為は、個人情報の漏洩に該当しますが、その被害の大きさは健常者の個人情報の漏洩と比べ重大です。なぜなら、知的なハンディのある人の個人情報は、プライバシー性の高いセンシティブ情報でその漏洩は人権侵害とみなされるからです。
    ■「そんなつもりはなかった」と言った新人職員
    本事件が発覚した時、施設長以下中堅職員は「そんなバカなことをする介護職がいるのか?」と驚きましたが、本人には悪いことをしたという認識はありませんでした。この問題が発覚した時には、「そんなつもりはなかった」と涙ながらに訴えたので周囲は呆れましたが、きっと嘘ではないのでしょう。採用試験の面接でも「認知症のおばあちゃんは可愛いから大好きです」と発言したと言いますから、本当にそう思っていたのでしょう。採用の段階で介護職として重要な倫理観が備わっていないことを見抜いていたら、この不祥事は避けられたかもしれません。
    呆れるようなコンプライアンス違反で大問題になった時にも、その行為を行った本人にその重大性の認識が無いことが良くあります。つまり、管理する側は「こんなことは当たり前だろう」と考えていることが、違反する本人たちから見れば当たり前ではないのです。この新人職員のように、重要なことを知らなかったために、過ちを犯して罰を受けるのですから本人も可哀そうなのですが、重要なルールはこれを知らなかったことがルールに違反した時の言い訳にはならないのです。
    では、管理者側から当たり前という重要な認識が備わっていない若い職員に対して、どのようにして認識してもらったら良いのでしょうか?倫理観という漠然とした能力が備わっているかどうかを見抜くことは容易ではありませんから、やはり研修によって一つ一つ教育しなければなりません。
    ■やってはいけないことを教える
     法人の理事長からこの不祥事の再発防止策を求められた施設長は、「それは採用時に見抜かなければどうしようもない。職場での教育は無理」と答えました。なぜなら、倫理観はその人間の成長過程において少しずつ身に付くものであって、職場の研修で身に付かないからです。しかし、この不祥事の再発防止のために、何かをしないと施設長も安心できません。そこで、施設長は介護現場で起きている「職員の倫理観の欠落による不祥事の事例」を調べて、これを材料に研修をしようということになりました。
     施設長は知り合いの施設長にメールで相談し、いくつかの施設から不祥事の事例を提供してもらいました。予想した通り「その時のノリで軽い気持ちでやっちゃった」というものがいくつもありました。中にはデイの管理者が障害者手帳を利用者から借りて、外出行事の時の博物館の入場料を行事参加者全員無料にして“経費を節約”して問題になったという悪質な確信犯の事例もありました。
    ■実際に研修をやってみたら
     さて、施設長は知り合いの施設長から教えてもらった事例から、12件の介護職のコンプライアンス違反事例を使って研修を行いました。事例をグループで討議して、何が不適切な行為なのか、何がコンプライアンスに違反するのかを職員に考えさせるのです。事例を選んでいる時に、施設長は「さすがにこんな基本的なルールが分からない職員はいないだろう」という事例もありました。しかし、実際に研修をやってみるとビックリ。どのような規則に違反するかと言う問いに答えられない職員がたくさんいましたが、「これってなぜルール違反なんですか?」と疑問を口にする職員がたくさんいたのです。コンプライアンスに対する認識は個人によって大きな違いがありますし、年代によっても大きな差がありますから、「こんなことは当たり前」と考えてはいけないのです。
     施設長がコンプライアンス研修に使った「職員の倫理観の欠落による不祥事の事例」の中には、次のような事例もありました。虐待などの職員の不祥事が起きると、「倫理要綱を毎日唱和する」などの形式的な対策を考える管理者がいますが、事例を見ると職員の倫理観を向上させることがいかに難しいか良く分かります。
    〇忘年会で盛り上がり利用者にもカツラをかぶってもらった
    クリスマスの行事のアトラクションで、職員が禿げ頭のカツラを買ってきてかぶり利用者にウケて盛り上がった。盛り上がったついでに、認知症の男性利用者の頭にカツラをのせたら、利用者にもウケて、職員が自分のポケットからスマホを出して写メしていた。

  • 11/28
    2024
    2024.11.28
    転倒骨折で入院し肺炎で死亡、キーパーソンの長男は納得したが次男が訴訟提起

    《検討事例》                   ≫[関連資料・動画はこちらから] 
    重い認知症のNさん(男性89歳)は、半身麻痺は軽く車椅子から立ち上がり、他の利用者を叩くなどの迷惑行為をするので、職員は絶えず注意を払っています。キーパーソンの長男は穏やかな方で、Nさんの暴力などで、施設に迷惑をかけていることを申し訳なく思っていました。ある時、機械浴の介助中にNさんが職員の腕を強く握ったため、職員が振り払おうとしてストレッチャーから転落させてしまいました。病院に救急搬送しましたが、大腿骨骨折と診断され入院の上手術をすることになりました。
    施設では、入院中も施設職員が見舞いに訪れ様々な援助をしたので、日頃から施設に好意的なキーパーソンの長男は、治療費などの請求もしてきませんでした。しかし、その後入院先の病院で急激に身体機能が低下し衰弱が激しくなり、入院から2カ月後に肺炎で急死してしまいました。
    Nさんの葬儀に参列した施設長に対して、東京に住んでいるという次男が「父の転倒・死亡事故について施設に法的責任があるのではないか?」と言いました。長男は「施設のみなさんには本当に良くしていただいたのに失礼なことを言うな」とたしなめました。葬儀の後にも長男が施設にやってきて、「次男は大学から東京に行ったままほとんど戻らないので、こちらの事情が分からず失礼をしました」と恐縮していました。ところが、1カ月後次男が施設を相手取って「Nさんが転倒して死亡したことについて施設に過失がある」と賠償訴訟を起こしました。
    《解説》
    ■キーパーソンへの依存は禁物
    この事故で施設側は、キーパーソンの長男が次男を説得してくれるだろうと安心していました。ところが、利用者が事故をきっかけに亡くなると、葬儀に集まった子から異論が出ました。次男は長男に「お兄さんは施設に世話になっているという負い目があるから」と、施設に対する弱腰な姿勢を責めます。他の子も次男と同じ意見です。次男は「私がお兄さんの代わりに施設と交渉する」と言って、施設に乗り込みます。
    ここでも、長男は「施設には大変お世話になっているから」と次男を諌めようとしました。「長男に任せておいても、施設に賠償請求はできない」と考えた次男は、東京に戻ってから弁護士を雇い訴訟を起こしたのです。相続権がある子であれば誰でも損害賠償訴訟を起こせますから、「長男が施設の味方をしてくれていたのに」と悔やんでも後の祭りです。
    この事件のように、利用者の存命中は利用者に関する全ての決定権がキーパーソンの長男に一任されていて、他の子は異議を唱えません。しかし、いざ利用者が亡くなると相続財産も絡んで様々な諍いが起こり、施設での事故にまで責任追及が及びます。キーパーソンという家族は利用者の在宅介護を経験している家族が多く、比較的施設運営に関して理解があり、施設ともコンセンサスの取りやすい存在です。しかし、他の子の中では「権利の主張もできないお人好し」という評価になってしまうのです。

    配偶者のキーパーソンは子に弱い
    次は、配偶者がキーパーソンという事例を挙げましょう。重い認知症の妻を献身的に介護してきた、キーパーソンの夫の事例の事例です。利用者がトイレ介助中に暴れて転倒し骨折してしまいましたが、日頃から手のかかる妻の介護に恐縮している夫は治療費の請求をしませんでした。ところが、事故の知らせを聞いて実家に帰って来た次女が、父の態度に異議を唱えたのです。「施設の過失で転倒骨折したのだから、施設が治療費を支払うのは当たり前」と、父に代わって施設に賠償請求をしてきたのです。
    利用者の妻は83歳でキーパーソンの夫は81歳です。これくらいの高齢になると家族の中の主導権は子が握っていて、父と言えどもいざと言う時には子の意見には従わざるを得ません。次女は執拗に慰謝料の金額にこだわり、二言目には「訴訟」を口にする権利主張の強い人でしたから、解決までには施設も大変苦労しました。この施設ではこのトラブル以降、利用者のキーパーソンが配偶者の場合は、必ずセカンドキーパーソンとして、子を指定してもらい人間関係を作るよう努めています。「お父様がご病気などの時に、施設から必要なご連絡をさせていただくお父様の代わりのご家族を決めて下さい」とお願いしているのです。キーパーソンが利用者の配偶者では、ご高齢ですから何があっても不思議ではありません。

    キーパーソンの代替わり
    18年前に特養に入所された利用者Hさん(女性)は当時78歳でキーパーソンの息子さんは56歳でした。18年経った今、ご本人は96歳でキーパーソンの息子さんも74歳になってしまいました。息子さんは会社を退職して毎日のように施設にやってきますから、施設としては息子さんと信頼関係も十分にできていて、大きな問題は起こりませんでした。
    ところが、ある時Hさんが居室で転倒して大たい骨を骨折してしまいました。相談員は、息子さんに対して「夜中にベッドから降りようとして転倒したので、防ぎようがなかった」と不可抗力であることを説明しました。しかし、突然お孫さんが来所され「介護記録と事故報告書を見せて欲しい」と言って来ました。相談員が驚いてキーパーソンの息子さんに電話をすると「今回の事故の件は息子(孫)が対応する」と言われてしまいました。
    お孫さんは53歳と働き盛りで世帯の生計維持者ですから、施設入所の祖母が入院すれば費用を負担しなければなりません。施設が気付かない間に世代交代が起こり、利用者の息子さんは既に家族の中心的存在ではなかったのです。利用者が高齢化しキーパーソンの家族も同様に高齢化してきていますから、事故が起きた時はキーパーソンだけでなく家族の決定権者が誰かを見極めて対応しなければなりません。

お問い合わせ