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20252025.07.09- 認知症が無い利用者の暴力を理由にサービス提供拒否したが、息子に反撃された
《検討事例》
独居で生活保護を受けているハヤシさんは、2ヶ月前からデイサービスを利用し始めました。脳梗塞による軽い半身麻痺があるものの、認知症は無い要介護1の軽度の利用者で日常生活に大きな支障はありません。利用前にケアマネジャーから「性格が少し粗っぽい」との情報はありましたが、実際には暴言を吐いたり暴力的な態度を取るなど目に余るものがあります。気に入らないことがあると、他の利用者に向かって怒鳴り散らしたり、時には拳を振り上げて威嚇する態度を取るのです。デイサービスでは、ケアマネジャーにハヤシさんの迷惑行為を伝えて、「家族から話してもらえないか」と相談しましたが、「息子さんも定職に就いておらず父親は言うことを聞かないだろう」と断られました。
ある日、ヤハシさんは他の男性利用者マエダさんに腹を立てて、「お前ぶっ殺してやるから覚悟しておけ」と言って、シャツの襟を左手でつかんで右手の握りこぶしをマエダさんの左頬に押し付けました。
翌日マエダさんの家族がハヤシさんの暴言と暴力を理由にデイを止めると言ってきたため、デイサービスではハヤシさんに「暴言と暴力が他の利用者の迷惑になるので利用をお断りする」と連絡しました。ハヤシさんは電話口で「福祉サービスはそんなに簡単に止められないだろう、なめるなよ」と反論しました。そしてハヤシさんは息子さんと二人でデイサービスにやって来て、息子さんが「父の暴言と暴力の証拠を見せろ」と詰め寄りました。デイサービスでは当日の記録を見せて説明しましたが、記録には「H様がマエダ様にひどい暴言を吐き、威嚇するような振る舞いをされた」とだけ書かれていました。逆に息子さんから「こんなもの証拠にならねえよ、あることないこと言うと名誉棄損で訴えるよ」と言われてしまいました。《解説》
■事実をありのままに記録しなければ主張さえもできない
Hさんの暴言や暴力の記録には「H様がM様にひどい暴言を吐き、威嚇するような振る舞いをされた」と書いてあり、この表現の曖昧さを「こんなもの証拠にならない」と息子さんに一蹴されてしまいました。ではもっと正確に記録されていたら証拠になるのでしょうか?証拠能力があると第三者が判断するためには、他の基準も満たさなければなりませんが、それ以前にこの曖昧な表現では、サービス提供拒否の主張すらできなくなってしまうのです。
介護業界では、「サービス記録の書き方」など数年前から記録の重要性について、徹底が図られてきましたが、未だにこのような記述が目立ちます。「暴言を吐いた」「暴力的な行為をした」と間接的な表現ではなく、どのような言葉を言ったのか直接話法で正確に書かなければなりません。「ばかやろう」という発言と「ぶっ殺してやる」という発言では、事業者側の対処が全く異なるからです。
例えば次のような表現が介護記録などに散見されますが、いずれも正確さを欠く記録であり、トラブルが生じた時に事実の主張ができません。
・卑猥な言葉を話された、卑猥な行為をされた×⇒(書き辛くても言葉や行為を具体的に記述する)
・激しい言葉で罵った、暴言を吐いた×⇒△△さんが「〜」と言った。
・M様とS様が言い争っていた×⇒牧田様が斎藤様に「うるさいからあっちへ行け」と言い争いになった(実名で記入)。
・CwがNsにFa連絡を依頼した×⇒山田介護職員が安田看護師に家族連絡を依頼した(略語は使わない)。
・居室から大きな音が聞こえた×⇒居室でドスンという鈍い音が聞こえた○
・居室で不潔行為があった×⇒(どのような不潔行為なのかを具体的に記述する)
・痛みの訴えは無かった×⇒「痛みはありますか?」と尋ねると「ない」と答えた○
・家族が事故についての不満を訴えられた×⇒家族が「事故の責任を明確して欲しい」と言われた○■サービス提供を拒否するケースを事前に説明すべき
介護保険サービスは事業者と消費者(利用者)の契約ですから、正当な理由があればどちらからも契約の解除(サービス提供の中止)を求めることができます。ただし、ご存知のように運営基準という法令によって、「事業者は正当な理由なくサービスの提供を拒否してはならない」と定められており、他の業界の契約と異なり事業者からのサービス提供拒否が制限されています。問題は「どのような理由があればサービス提供を拒否できるのか」が事前に利用者側説明されていないことです。行政・福祉サービスのように、何があってもサービスが受けられるだろうと考える人も少なくないのです。
そのため、本来サービス提供を拒否すべきケースなのにズルズルと継続し、たった一人の迷惑行為や暴力行為が原因で、他の利用者がサービスを利用できなくなったり、職員が辞めてしまうなどという事態も起きています。介護事業者はサービス提供を拒否するケースを明確にして、これを契約時に説明しておかなければなりません。では、どのようなケースであれば事業者からサービス提供を拒否ができるのでしょうか?運営基準の「サービス提供を拒否する正当な理由」とはどんなケースなのでしょうか?■サービス提供を拒否するケースを具体的に明示する
まず、本事例のハヤシさんのケースではサービス提供を拒否する正当な理由があるのでしょうか?相手を特定して「おまえぶっ殺してやる」というのは脅迫罪(刑法222条)に該当しますし、シャツの襟をつかんで握り拳を顔に押し付ける行為は暴行罪(刑法208条)に該当します。刑法の犯罪に該当する行為を他の利用者に対して行ったのですから、サービス提供を拒否する正当な理由になることは間違いないでしょう。
では、他のケースはどうでしょう?介護事業者はどのようなケースで、サービス提供の拒否ができるのでしょうか?また、どのような手続きを踏んで拒否すれば良いのでしょうか?次の事由がサービス提供を拒否する正当な理由に該当すると考えられます。
①事業者の事業の運営に著しい支障が生じるような行為を利用者が行った時
②契約の信義則(契約当事者の信頼関係)に反する行為を利用者が行った時
③契約書の「事業者からの解約解除」の事由に該当する時
④利用者が従業員や他の利用者に対して、法律に抵触する行為(特に犯罪行為)を行った時
上記の事由に該当し事業者から契約の解除を申し出る場合、ケアマネジャー(場合によっては地域包括支援センター)などと連携して、他のサービス利用などの生活支援の方法を検討しなくてはなりません。また、上記の行為があったとしても事業者はいきなりサービス提供拒否を通告するのではなく、利用者側に改善を促す努力を尽くすべきことは言うまでもありません。
■利用者の猥褻行為に対しても厳しく対処する
正当な理由があるにもかかわらず事業者がサービス提供を拒否しなかったために、大きなトラブルへと発展する例が増えています。特に、事業者の従業員に対する違法行為を黙認して改善しなかったために、事業員が辞めてしまう例は居宅サービスなどでも多く大きな問題です。福祉の流れを引き継ぐ介護事業者の管理者は、利用者の権利と労働者の権利がぶつかる場合にいとも簡単に従業員を犠牲にしてしまうのです。こんな象徴的なケースがありました。
ある訪問看護ステーションの看護師に対して、認知症の無い利用者が猥褻行為を行いました。具体的には、看護師のパンツに手を入れて陰部に触れたのです。看護師はありのままを記録して報告したため、管理者は「強制わいせつ罪に該当する」と判断して、ケアマネジャーにサービス提供を拒否する旨を連絡しました。ところが、ケアマネジャーは「看護師を交替して続けられませんか?前の訪看も同じように断られた。訪問介護のヘルパーだって我慢している」と驚くべき答えをしました。
このケースは介護と医療の職員の権利に対する意識の差が明確に表れています。介護は福祉同様に「加害者であっても援助が必要だ」と寛容に対応し過ぎるのです。児童虐待や高齢者虐待に対しても同様です。たとえ、加害者がハンディのある援助が必要な人であったとしても、刑法の犯罪に該当する行為であれば、強制力を持って直ちにその行為を止めさせなければなりません。加害者にも援助が必要であれば、加害行為を防止した上で援助を検討すれば良いのであって、援助が必要な人の行為だからと許していたのでは、介護事業者の従業員はどんどん辞めて行きます。
- 07/09
20252025.07.09- 送迎中に利用者が脳梗塞発作を起こし、救急車の要請が遅れために重症に
《検討事例》
あるデイサービスのお迎えの送迎中に、車内の利用者が急変しました。他の利用者が急変に気付き「運転手さん、〇〇さんちょっと変よ」と知らせましたが、ドライバーは停止できません。次の信号待ちで停止し、ドライバーは後部座席の利用者を見て携帯でデイに連絡を入れました。連絡を受けた相談員は、「すぐに救急車を呼んで下さい」と指示しました。ドライバーは道路脇に送迎車を停止させて携帯で119番しました。すると「火事ですか、救急ですか?」と聞かれ、動揺したドライバーは「え?何?」と聞き返し、再び「火事ですか、救急ですか?」と問われてやっと「救急です」と答えました。次に「場所はどこですか?」と聞かれましたが、慌てたドライバーは「送迎中なので国道です」と答えました。119番に「近くの建物が分かりますか?」と聞かれたので、「大きなパチンコ屋の前に停まっています」と答えてしまい、場所を伝えて送迎中の車内で急病人が出たことを伝えるまでに5分もかかってしまいました。
一方相談員は、一報が入ってから何度もドライバーを呼び出しましたが、携帯電話に出ません。ドライバーが救急車を呼んだ後、携帯で連絡がついて場所がわかり、スタッフが現場へ向かいました。現場では、ようやく救急車が到着して病院へ救急搬送する時になって、ドライバーは救急隊から「救急車に同乗して下さい」と言われましたが、他の利用者が車内にいるので断りました。仕方がなく救急隊は搬送先に病院の名前を告げて、「すぐ家族に病院に来るように伝えて下さい」と言って搬送して行きました。病院に搬送された利用者はクモ膜下出血で、手術を受けましたがその後亡くなりました。利用者の異変に気づいてから、急変してから救急搬送までに1時間もかかったことがわかると、家族は「なぜもっと早く搬送できなかったのか、死んだのはデイの責任だ」と追及してきました。所長は「ドライバーは体調急変の対応に慣れていなかったので申し訳なかった」と謝罪しました。《解説》
■なぜ救急搬送が遅れたのか?
送迎車内で利用者が急変した時、救急搬送が遅れた原因は、ドライバーの対応が不適切だったからではありません。あらかじめ送迎車内の体調急変を想定して、対応手順をルール化していなかったことが原因です。では、どのような対応手順を決めたら良いのでしょうか?「車内に急病人が出た時はすぐに救急車を要請する」というだけのことですが、実際にその場面に直面すると、思ったように行きません。本事例を検証すると、救急車の要請が遅れた原因は次の4点であることがわかります。
① すぐに送迎車を停止させられなかった
② デイに連絡して指示を仰いで時間を無駄にした
③ 119番の電話に慣れてなかったので手間取ってしまった
④ 送迎車の場所を素早く伝えられなかった
次に、送迎中に利用者の急変が起こった時、デイサービス側の職員は現場に急行して対応をバックアップしなければなりません。救急救命士の対応や救急車への同乗、家族への救急搬送先の連絡など対応すべきことはたくさんあります。本事例ではどのような対応だったのか、再び記録から検証してみましょう。 上記記録を検証して問題点を挙げると次のようになります。
① 救急救命士に急病人の氏名・連絡先を伝えなければならないのに準備していなかった
② 救急車への付き添いを要請されて運転手が対応できなかった
③ 相談員が現場の位置を把握していなかったので、到着に時間がかかった■脳梗塞発作発生時の対応を検証してマニュアル化
7月ともなれば毎年体調を崩す利用者が出ますから、利用者が送迎車内で急変してもおかしくありません。お年寄りは朝早くから散歩や庭いじりなどで汗をかいた上、冷房も入れずに過ごす人がたくさんいますから、お迎え時は特に注意が必要です。送迎車に乗ったらすぐに冷たい水を一杯飲んでもらいたいくらいです。
さて、送迎中の急変対応への適切な対応をルール化するとどうなるでしょう?本事例の対応の検証を参考にして、適切な対応方法をまとめてみました。
・車内で利用者に異変が起きたら、ハザードランプを出して送迎車を路肩に停車させる。
・すぐに利用者の名前を呼び返事が無い場合は、119番に通報する。
・「火事ですか?救急ですか?」と聞かれるので「救急です」と答える。
・場所を聞かれたら「道路走行中に車内に急病人が出て路上に停止している」と言って場所を伝える。
・デイサービスに連絡を入れ、急病人の氏名・連絡先などを聞いてメモを取り、救急救命士が到着したらメモを渡す。
・デイサービスでは相談員と看護師が現場へ急行する。
・相談員は現場急行中に家族に連絡し、救急搬送先が決まり次第連絡すると伝える。
・看護師は救急車に同乗して搬送先に行き、その後の経過をデイサービスと相談員に連絡する。
・相談員は家族に搬送先の病院を連絡し、できれば家族を迎えに行く。
・デイサービスでは、送迎待ちの利用者に連絡の上、遅れることを謝罪し別途送迎の手配を行う。
このように、マニュアル化をしておけば安心ですが、いざという時マニュアル通りにできない職員もいるかもしれませんから、簡単な訓練をしておくと良いでしょう。特に救急車の要請は緊張していると適切にできないことがあります。
ある特養では、介護職が救急車の要請を迅速にできなかったことから、救急車要請の訓練を行った上でヘルパー室に「救急車通報メモ」という貼り紙をしています。貼り紙には、119番での電話の対応話法が全て示されており、施設の住所も書いてあります。そのまま読めば誰でも救急車の要請がスムーズにできるのです。
送迎中の急変に備えて、次のような「救急車通報メモ」を作って車内に貼り、話法訓練をしておけば安心ではないでしょうか?〇救急車通報メモ
119番受付員 通報者
火事ですか、救急ですか 救急です
場所はどこですか デイサービス送迎中に車内で急病人が発生しました。○○市○○町の国道○号線〇〇交差点付近です。
どうしましたか 80歳代の女性利用者が車内で意識不明となりぐったりしています。
あなたの名前は? 私の名前は○○○○です
- 07/08
20252025.07.08- ショートステイ入所直前に体調不良を理由に施設側からキャンセルでトラブルに
《検討事例》
Sさんは居宅で訪問介護を利用しながら奥様の介護を受けている86歳の要介護5の利用者です。奥様の体調がすぐれないことから、ケアマネジャーの勧めである老健のショートステイを1週間利用することになりました。利用開始日の朝、ショートステイの職員がSさんを迎えに行き、奥様もご一緒に来所されました。奥様に入所申込書を記入していただく前に看護師がバイタイルチェックを行なうと、呼吸音不良、意識レベル低下、酸素濃度低下があり、Sさんのかかりつけ医に連絡し相談しました。すると、医師からは「救急搬送が適切」と指示があり、奥様も同意の上救急車を要請し病院に搬送することになりました。奥様には「申込前なのでショートはキャンセルさせて下さい」とお願いし、救急車への同乗をお願いし病院へ搬送していただきました。1時間後には他の利用者から緊急にショートの要請があり、入所させたためショートは満床になってしまいました。
ところが、奥様が救急車に同乗してSさんを病院へ搬送すると、病院の医師は「軽い脱水症状があるので点滴をするが、入院の必要はないので自宅で安静にして下さい」と居宅療養が妥当と判断しました。タクシーで帰宅した奥様は、ご自分の体調がすぐれないことから再度ショートの利用を打診しましたが、「他の利用者にベッドを貸しているためショートは利用できない」と断られてしまいました。近所に住んでいる息子さんが再度施設に説明を求めると、施設では「ショートステイは病院ではなく生活の場なので著しい体調不良の利用者は入所できない。在宅サービスでの利用者の体調管理は家族が責任を持ってもらいたい」と言われました。息子さんは翌日「ショートステイのキャンセルは不当だ」と、市に苦情申立を行いました。《解説》
■Sさんの体調不良は利用中なので施設が対応する義務がある
施設側は、「入所申込書を記入する前にバイタルチェックを行ったら著しい体調不良の状態にあり、契約締結前に利用は難しいと判断した」と考えているようです。ですから、家族に病院への救急搬送を任せてしまい、ショートステイの利用をキャンセルしてしまったのです。しかし、本当にこの施設の判断は正しかったのでしょうか?Sさんのバイタルチェックを行い救急搬送が妥当とされた時点は契約締結前だったのでしょうか?詳しく検証してみましょう。
まず、この短期入所生活介護のサービス利用契約はどの時点で成立したのでしょうか?Sさんの奥様が施設に電話をして「○○日から××日までショートステイを利用させて下さい」と申込み、施設が「はい、承りました」と了解した時点で契約が成立します。つまり、施設が主張する「入所申込書を記入する(契約締結)前であるから」という主張は間違っているのです。その上、契約が成立したショートステイのサービスは、居宅に迎えに行った時から利用開始となります。
つまり、Sさんが施設の到着しバイタルチェックを行い病院への救急搬送が妥当と判断された時は、ショートステイの利用中ということになります。ショートステイ利用中に利用者に重篤な体調急変が起きているのですから、家族任せにして病院へ搬送してもらって良い訳がありません。本入所の利用者でもショートステイの利用者であっても、利用中の体調急変に対する安全配慮義務には差異はありませんから、看護師が責任を持って病院に搬送しなければからなかったのです。この行為は契約違反であると同時に、運営基準133条(健康管理)※にも違反することになります。
※「指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する基準」133条
指定短期入所生活介護事業所の医師及び看護職員は、常に利用者の健康の状況に注意するとともに、健康保持のための適切な措置をとらなければならない。
■重篤な体調急変でも入院しなければ、ショートはキャンセルできない
さて、前述の通りSさんが施設に到着して重篤な体調急変であると判明した時は、既にショートステイの利用中だったのですから、利用中のショートステイを正当な理由なく一方的にキャンセルすることはできません。利用中に発生した体調急変はサービス提供を拒否する正当な理由にはなりませんから、この行為も債務不履行であると同時に、運営基準140条(提供拒否の禁止)※に該当します。
では、病院に救急搬送された後でキャンセルすることは出来ないのでしょうか?本入所のように入院しても一定期間ベッドを確保しておくことは、ショートステイでは難しい対応です。搬送先の病院で医師が入院の決定をした時点で、キャンセルになると考えなければなりません。なぜなら、制度上医療保険制度における入院と介護保険制度におけるショートステイは重複して利用できないことになっているからです。逆に言えば、極めて重篤な状態で病院に救急搬送しても、入院が決まるまではショートステイはキャンセルできないのです。
Sさんの場合、病院の医師が医療面で在宅での生活が可能と判断して、入院の判断をしませんでした。つまり、在宅での生活が可能と医師が判断して、ショートステイの利用も可能な訳ですから、キャンセルせずに利用を継続できるようにしておくべきだったのです
※「指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する基準」140条(9条の準用規定)
指定短期入所生活介護事業所は正当な理由なく介護サービスの提供を拒んではならない。
■居宅で生活できる程度の体調であればショートの利用を断れない
特養や老健では「施設は生活の場であって病院ではない」とよく説明します。もちろん、病気やケガの治療を目的として医療サービスを行う病院と、生活に支障がある高齢者の生活を援助する施設では目的が異なります。しかし、「ショートステイは病院ではなく生活の場なので著しい体調不良の利用者は入所できない。在宅サービスでの利用者の体調管理は家族が責任を持ってもらいたい」という施設の主張は適切なのでしょうか?
まず、ショートステイが利用できないような体調不良とはどの程度の状態を言っているのでしょうか?入院治療の必要がなく在宅での生活が可能とされる程度の体調であれば、施設の利用ができると考えなくてはなりませんから施設の主張には根拠がありません。居宅で生活ができるレベルの利用者の体調不良を理由に利用を断れば、間違いなく「正当な理由なしにサービス提供を拒否した」ことになるでしょう。また、「ショートステイは在宅サービスなので利用者の体調管理は家族責任」というのも、前出の運営基準133条(健康管理)の趣旨から外れていますし、看護師が配置され居宅に比べより高い医療的配慮ができる施設の体制を考えれば根拠がありません。
ショートステイは「稼働率100%以上が当たり前」と回転率を上げることが使命になっており、在宅の利用者や家族への配慮が欠けた対応が目立ちます。「在宅サービスだから」と言うのであれば居宅での利用者や家族の事情にもっと配慮すべきでしょう。
- 07/08
20252025.07.08- 同じ利用者に立て続けに2回誤薬、職員2名で利用者名を声に出して読んだが・・・
《検討事例》
R障害者支援施設は、入所定員60名の知的障害者施設です。4か月前からお薬カードを使って服薬時には利用者の顔写真で本人確認を行うようになりました。ところが、同じ利用者の薬を2回誤薬するという事故が起こりました。誤薬事故の原因は、利用者の薬袋をお薬ボックスから取り出す時に、利用者の氏名を読み間違えたことでした。マニュアル通りに「職員2名で日付と利用者名を声に出して確認」していながら、2人とも間違いに気づかなかったのです。法人のリスクマネジメント委員会で再発防止策を議論しましたが、「確認ツールをここまで揃えているのに間違えるのではお手上げ。職員の個人的な責任だ。こんなボーっとしていては困る」と、否定的な意見ばかりです。《解説》
■薬の確認に集中できない現場の環境
ヒューマンエラーの防止対策は注意力や集中力などの個人の能力に委ねてはいけません。R施設では、利用者の取り違えによる誤薬事故が多かったことから、利用者の顔写真を使って本人確認を行う手順に変えたため利用者の取り違えは無くなりました。ところが、薬の取り違えが立て続けに起きて問題になったのです。では、薬の取り違えの原因は何なのでしょうか?
誤薬防災マニュアルでは、お薬ボックスから薬をピックアップした後に、他の職員に声をかけて二人で利用者名を読み上げてダブルチェックすることになっていますが、このチェック方法は機能しているのでしょうか?実際の食事介助の場面を見せてもらいました。
食事介助の場面を見て少し驚いたのですが、ひどく騒々しくドタバタしているのです。食事が終わった順に与薬を始めるのですが、食事が終わった利用者は誰一人としてジッとしていません。食堂を歩き回る利用者や部屋に戻っていこうとする利用者を呼び止めて、席に座らせて慌ただしく服薬介助をします。部屋まで追いかけて行って服薬させている職員までいます。高齢者施設では考えられない、凄まじい光景です。
こんなドタバタした環境で、手に取った薬袋の氏名を読み上げても、注意深く確認することはできそうにもありません。服薬確認のために呼び止められた職員は、迷惑そうで明らかに嫌々対応しているのが分かります。
実はダブルチェックというチェック方法は厳密に言うと、2種類あるのです。一つ目は本事例のように、チェックの回数は1回で二人の人がチェックするという「二人チェック」という方法で、もう一つは場面を変えて2回チェックするという「二場面チェック」という方法です。前者はお互いが相手にチェックを依存してしまうという欠点がありますから、後者の二場面チェックの方が有効と言われています。■ボーっとしていても間違いに気付く方法
さて、このような集中力が全く働かなくなるような最悪の環境ですから、職員の集中力に頼るのは無謀ということになります。そこで、少し視点を変えて「集中しなくても間違いに気付くようにできないか?」という工夫をすることにしました。
まず、お薬ボックスが置いてある場所が暗いことに気付きました。お薬ボックスを明るい場所に移しただけで、薬袋の氏名の印字ははるかに読みやすくなりました。次にお薬ボックスに付いているタグの文字が手書きでしかも悪筆で読みにくいので、テプラで印字してきれいに貼りなおしました。さて、その後調剤薬局が一包化してくれた薬袋を見ると、なぜか氏名の印字だけが大変小さいことに気付きました。
氏名の印字が小さいのに、昼食後などの服薬のタイミングの表示だけやたら大きな字なのです。こんな小さい字を薄暗い場所で読んだら、誰だって読み間違いが起こります。もっと大きな字にはできないのでしょうか?ダメ元で調剤薬局に問い合わせてみました。
すると、調剤薬局の薬剤師さんが「そう言えば氏名の字が小さいですね。大きくしてみますが、何ポイントくらいがいいですか?」と気軽に文字サイズの変更に応じてくれたのです。色々聞いてみると、氏名の印字が小さい理由も教えてくれました。もともと、一包化のサービスは居宅で自分の薬の管理ができなくなってしまう高齢者のために考案されたもので、一包化された印字を確認しながらお薬カレンダーにセットしていくというものなのです。居宅であれば本人しかいませんから、氏名の印字を大きく表示する必要がなかったのです。
欲が出てきた私たちは調子に乗って、薬剤師さんに「朝、昼、晩、眠前と色を変えてもらえませんか?」とお願いしたら、気持ちよく応じてくれました。
このようにして、お薬ボックスから取り出した薬袋を確認する環境が、大幅に改善されました。まとめると次の写真の通りです。「ボーっとしていても間違いに気付く」かどうかは定かではありませんが、これで見間違いが減ることは確かでしょう。
- 07/08
20252025.07.08- ショートでノロ感染して退所後に居宅で発症し重体、なぜ退所させたのか?
《検討事例》
特養のショートを退所した利用者Mさんが翌日居宅でノロを発症し、気付くのが遅れ重篤化し救急搬送されました。退所する前日にMさんの近くで激しく嘔吐した利用者が居り、施設ではノロを疑いましたがベッドに空きが無くMさんを退所させました。念のため、退所時に看護師が同行して奥様に「感染性胃腸炎の可能性があるので、ご主人の体調の変化に注意して欲しい」と説明しました。近所に住む息子さんは、「施設でノロに感染させておきながら退所させたので父が重体になった。90歳の母に適切な対処ができる訳がない」と、市に苦情申立をしました。《解説》
■感染症の発生に対する施設の責任は?
入所施設やショートステイで感染症が発生しても、その感染症の発生に対する施設の賠償責任が問われた例はほとんどありません。しかし、もし本事例のような感染症の感染に対して施設の責任が問われたら、どうなるのでしょうか?Mさんが亡くなってしまって訴訟が起きたら、施設の感染に対する過失責任が問われるのでしょうか?
感染症被害に関しては、「提供した食事による食中毒」など感染源が明らかなケース以外は、施設の責任を問うのは難しいでしょう。なぜなら、ノロやインフルエンザなどの感染症によって、利用者が死亡したとしても、その感染経路を完全に特定することが難しく、訴訟になっても施設の過失を立証することが難しいからです。では、もし感染症に対する対策を施設が著しく怠っていたことが原因で、大きな被害が出た場合でも施設の責任は問われないのでしょうか?
「施設が責任を問われることはあり得る」というのが正解です。本事例のように一人目の発症者については、どのように感染したのか感染経路が不明なことが多いので、施設の責任は問いにくいのですが、次のようなケースは責任を問われると考えるべきです。例えば、ノロ発症の兆候が明白なのにその感染を疑わずに対策を怠り感染者が出た場合や、感染症が発生した時免疫力の低い利用者への適切な医療的対処を怠って重度化した場合です。
つまり、施設は一人目の発症者の感染に対しては大きな責任を問われることはありませんが、施設内での二次感染や、免疫力低下者の重度化などに対して責任を問われる可能性があるのです。
具体的には次のようなケースです。
①施設内で感染症の発症者が現れた時、発症の兆候を見逃すなど発見が遅れ感染が防げなかった場合。
②激しく嘔吐した場合など、吐物の処理など感染防止の対処を怠ったため感染が防げなかった場合。
③胃ろうなど免疫力が低下している利用者に対して感染防止の配慮を怠って感染し重度化した場合。
本事例でも、もし一人目の利用者が嘔吐した時に、吐物の処理の方法が適切でなかったためにMさんが感染したのであれば、Mさんの感染について施設の過失責任を問うことができます。■退所時に感染症への注意を促せば良いか?
さて、次の問題は施設内での感染が疑われているMさんを退所させたことと、退所時の家族への対応の問題です。空きベッドがなければ対処はやむを得ないかもしれませんが、息子さんが指摘したように家族への注意喚起の方法には問題があります。
看護師が同行したのは良いのですが、「感染性胃腸炎」という言葉を使って説明しています。医療者でもない、一般の人に感染性胃腸炎という病名は一般的ではありません。今や“ノロ”というウイルスの名称が感染症の呼び名として定着してしまっていますから、その重篤性を正確に伝えるためには「ノロに感染した疑いがある」と表現すべきです。
また、たとえ“ノロ”と説明されてその重篤性が理解できても、「どのような症状ができた時にどのように対処すべき」という具体的な対処方法を説明していませんから、高齢の奥様に対処を期待することは難しいでしょう。せめて翌日に電話を入れて「お加減はいかがでしょうか?」と様子をお聞きするくらいの配慮があってもよかったでしょう。■「感染症は完全には防げない」を前提にすると
まず、施設では「感染症を持ち込まない」という対策だけに、多大な労力を払っていますが、果たして本当に効果があるのでしょうか?もちろん、職員が感染源になってはいけませんから、手洗う・うがいのような基本的な衛生行動を徹底すべきことは言うまでもありません。しかし、利用者は隔離病棟で暮らしている訳ではありませんから、外部との接触が皆無と言う訳ではありませんし、ショートステイともなれば外部からの感染症の侵入を防ぐことはまず不可能です。では、施設の感染症対策は、どのように進めたら良いのでしょうか?
私たちは、施設利用者の感染症のリスクを3つの種類に分けて整理して、対応策を講じています。具体的には次のようになります。
①感染リスクへの対策
職員や利用者自身の衛生行動などによりウイルスの体内への侵入(感染)を防ぐ対策です。インフルエンザであれば加湿することで、ウイルスの侵入を減らすことができますし、感染リスクの高い病院の待合室の長時間滞在を避けることも重要です。
②発症リスクへの対策
体内にウイルスが侵入しても発症するとは限りません。抗体を持っていたり免疫力が高ければ発症を免れることができます。ですから、予防注射を打ったり免疫力や体力を下げないように低栄養を防ぐことも重要です。
③重度化リスクへの対策
免疫力や体力が衰えている利用者は、感染症を発症した時重度化して生命の危険に晒されることがあります。施設内で感染者が出た場合には、胃ろうの利用者や糖尿病患者などは、感染者から遠ざけて感染させないよう配慮しなければなりません。また、感染症から肺炎を併発するケースが多いので、肺炎球菌ワクチンを接種して肺炎を予防することも重度化対策では重要になります。■発症リスクと重度化リスクへの対策がカギ
このように、施設はでは「感染症を施設に持ち込まない」ということばかりが強調されますが、3つのリスクに対して効果的な対策を利用者ごとに講じて行かないと、労力ばかりがかかって効果が上がりません。どの施設でも見かける光景ですが、家庭用の加湿器をたくさん配備して、11月〜3月まで毎日職員が水汲みをさせられています。果たして、多大な労力をかけてどれだけの効果があるのでしょうか?インフルエンザの予防には40%以上の湿度が必要ですが、家庭用の加湿器では30%に満たないのが通常ですから、効果はほとんどありません。
- 07/08
20252025.07.08- 滑り止めシートも効果なく何度も車椅子からずり落ちる利用者
《検討事例》
半月前に特養に入所した認知症のKさんは、車椅子ですが足漕ぎで絶えずあちこち移動します。入所直後に車椅子のブレーキをせずに立ち上がり転倒する場面があり、施設ではオートロック車椅子を導入しました。ところが、ブレーキ忘れの転倒はなくなったものの、車椅子からずり落ちることが多くなりました。車椅子に滑り止めシートを敷いても効果がありません。居室担当になぜ落ちるのか原因を聞きましたが「いつも移動しており落ちるところを見たことがない」というのです。このままでは、いつかケガをしてしまいます。どうすれば良いでしょうか?《解説》
■入所間もない利用者の行動がつかめない
入所して間もない利用者は、生活行為の細部まで見ることができないため、完全に行動を把握することが難しいことがあります。もちろん、入所前のケアマネジャーや家族からの情報提供によって障害の程度や認知症の状態などは把握できますが、実際の生活行為の細部については直接目で見ないと分かりません。
ところが、認知症の利用者で絶えずあちこちと移動する利用者については、職員もなかなか目で見て確認することが難しいことがあります。居室で転倒する認知症の利用者については、「転倒している利用者を介護職が発見する」というケースがほとんどですから、何が原因でどのように転倒するのか確実なことが判明しません。このようにして、何度もヒヤリハットが起こっているのに有効の対策も打てずに、事故に至ってしまうことがしばしばです。
では、このような利用者の生活行為の細部を、早期に把握するにはどうしたら良いのでしょうか?危険のない生活行為はともかく、事故につながるような行為については早期に把握しなくてはいけません。■早期に「生活行為アセスメントの取組」を
私たちは、認知症の利用者の行動が把握できなかったり、どの行動の理由(原因)が分からない場合に、「生活行為アセスメントの取組」を行います。具体的には、居室担当と主任と生活相談員の3名で、1時間以上時間を決めて利用者を「ただ観察し続ける」ということをするのです。たとえば、「坐っている時はそこそこ機嫌が良いのですが、ふらふらと歩き回ってくると機嫌が悪いくBPSDにつながる」という認知症の利用者を、物陰からそっと観察し続けました。すると、実は膝に痛みがあるので、歩き回ると機嫌が悪くなることが分かりました。
こんな言い方をすると介護職の方には悪いのですが、介護職は利用者を見ているようで、実はほとんど見ていません。実際に介護職の目に触れている場面は、利用者を介助する場面と利用者がデイルームに座っている場面くらいです。介護職は忙しく仕事をしていますから、仕事をしながらでしか利用者を見ることができないのです。
そこで、敢えて「全く仕事をせずに利用者の行動を見続ける時間」を意図的に作り出すのです。すると、日頃は想像することしかできなかった利用者の行動を実際に自分の目で見ることができるようになります。特に認知症の利用者のBPSDに関わることは、ゆっくり時間を取って観察すると効果的です。■Kさんが車椅子からズリ落ちるところを目撃
職員3人で本人には隠れてKさんの行動を観察したところ、1時間半程度で車椅子からずり落ちる現場を目撃することができました。原因は驚くべきことに“オートロック車椅子”だったのです。Kさんは、認知症を発症するずっと以前から、車椅子を器用に足で漕いで移動していました。Kさんは右半身に麻痺があったので、左足を前に突き出して器用に足漕ぎをして車椅子を移動させていたのです。
しかし、左足を動かして車椅子で足漕ぎをしようとすると、左足を前に突き出した時に車椅子の座面のお尻が左だけ浮いてしまうのです。オートロック車椅子は、車椅子の座面から尻が上がった時点で、自動的にブレーキがかかってしまいます。すると、床に着いた左足で身体を引き寄せた時、車椅子は動かないので身体だけ前に滑って座面から落ちてしまうのです。
この様子を見ていた3人は、Kさんを普通の車椅子(以前から使っていたもの)に座ってもらって、しばらく様子を見ました。するとKさんは、以前のように器用に車椅子の足漕ぎで、すいすいと廊下を進んで行きました。
たった2時間程度の「生活行為アセスメントの取組」で、車椅子からのずり落ちの原因があっという間に把握できました。おかげで、「車椅子を足漕ぎする利用者にはオートロック車椅子は使えない」ということも分かりました。急がば回れ、落ち着いてじっくり利用者を見る方が、色々頭を悩ますより早いのです。■介護職は利用者を見ていない
前述したように、介護職は利用者を見ているようで見ていません。正確な言い方をすると、介護職は絶えず自分の仕事をしながら、利用者を見ていますから限界があるのです。ところが、介護職は「忙しいから」という理由で、一人の利用者を注視するということに時間を取ろうとしません。当然利用者の生活動作、生活行為の状況を良く理解していませんから、リスク対応なども全て後手後手になって、余計時間を取られるという悪循環に陥ります。
先日ある施設の認知症フロアの主任から相談がありました。徘徊、異食、転倒とリスクだらけの職場ですから、「誰のどんなリスク対策から始めて良いか分からない」というのです。私が彼女にアドバイスしたことは次のようなものです。まず、職場で最も手がかかり事故の危険が高いと感じている利用者を、職員の多数決で一人選びます。次にその利用者に対して、一人の職員が週に1時間張り付いてじっと観察し、どのようなリスクがありどのように対処したら良いかをメモします。これを1ヶ月間続けると、合計4人の職員が4時間一人の利用者を観察したことになります。そして1ヶ月後に4人の観察者が「どのようなリスクを感じて、どのように対処すれば良いと考えたのか」を発表しました。当然、それまで分からなかったたくさんのリスクが発見でき、防止対策が容易なものもたくさんありました。
このように一人の利用者に焦点をあてて、情報を収集して理解を深め、認知症ケアに役立てるという方法(センター方式)が成果を上げました。同じ方法で実はリスクを把握し対策を講じることも容易になるのです。リスクマネジメントの世界でも、リスクアセスメントという言葉が日常的に使われるようになり、まずはリスク情報収集、分析、評価という手法を取っていますから、この生活行為アセスメントの取組は、介護用リスクアセスメントということになるのでしょう。
- 07/08
20252025.07.08- 「母が悪質商法に騙されていることになぜケアマネジャーが気付かなかったのか?」
《検討事例》
Mさん(72歳女性)は慢性関節リウマチがある要介護1の利用者です。息子さんが海外勤務のため独居ですが、生活はほとんど自立しています。利用している介護サービスは、居宅介護支援と週2回の訪問介護で、同じ会社の併設事業所を利用しています。Mさんは年金が十分で生活に余裕があり、以前は良く古い友人と出かけていましたが新型コロナの外出自粛で家に籠るようになってしまいました。
ある日息子さんからケアマネジャーに電話があり、「母の様子がおかしいので帰国して調べてみたら、高額な羽毛布団を5セットも買っていた。気付かなかったのか?」と言いました。ケアマネジャーは「羽毛布団を買ったので良く眠れるとは聞きましたが、5セット買ったとは聞いていません」と答えました。その後、Mさんが多額の健康食品を購入した上、貴金属を不当な値段で買い取られていたことが分かり、息子さんは被害の回復に奔走することになりました。息子さんは事業所に「ケアマネジャーや訪問介護のヘルパーが頻繁に訪問しているのに、気付かなかったとは考えられない」とクレームを言ってきましたが、社長は「法的責任がある訳ではないから対応する必要はない」と言い、息子さんは市に苦情申立をしました。《解説》
■居宅介護支援事業者に法的な責任は無いが・・・
介護事業所の社長が言うように、居宅介護支援事業者や訪問介護事業者に、利用者を悪質商法から守る法的な義務がある訳ではありません。ですから、本事例のトラブルに対して事業者が補償などの対応を行う必要はありません。
しかし、在宅介護事業者は地域の高齢者を特殊詐欺や悪質商法の被害から守る社会的責任は大きいのです。銀行ではATMに行員を配置して高齢者に声を掛けていますし、郵便局の配達員も高齢者の生活の異変に早く気付き積極的に声をかける活動を以前から行っています。高齢者の生活に密着して生活援助を業務とする介護事業者が、高齢者の詐欺や悪質商法の被害に無関心では困ります。コロナ禍で社会との関係性が希薄になり、被害に遭いやすくなっているのですから尚更です。
オレオレ詐欺だけではなく、本事例のような悪質商法は年々新たな商法(?)が現れ手口が巧妙になっており、自らの意思で契約を行うため未然に防ぐことが困難なのです。ですから、悪質商法から高齢者を守る上で重要なことは、騙されていることに周囲が気づいて迅速に代金回収などの対応を取ることです。本事例もケアマネジャーやヘルパーがMさんの購入したものに気付いて早く対応していれば、被害の多くが防げたかもしれません。■増え続ける高齢者の悪質商法被害への対応
今や「オレオレ詐欺の手口を知らない人は皆無」というくらい、特殊詐欺防止対策の徹底が図られていますが、それでも騙される判断力の衰えた高齢者が後を絶ちません。特殊詐欺と同じくらい高齢者を騙して甘い汁を吸っているのが悪質商法です。訪問販売やマルチ商法などの悪質商法には、特定商取引法で規制されているにもかかわらず、訪問購入などの新しい手口がどんどん増えて高齢者がターゲットになっているのです。
特定商取引法とは、事業者による違法・悪質な勧誘行為等を防止し、消費者の利益を守ることを目的とする法律で、訪問販売(購入)、電話勧誘、通信販売等の消費者トラブルを生じやすい取引類型を対象に、事業者が守るべきルールと、クーリング・オフ等の消費者を守るルール等を定めています。
購入契約から8日以内に契約を解除できるクーリングオフは誰でも知っていますが、本事例のように通常消費する量を著しく超える購入契約(加量販売契約)であれば、1年間は契約を解除することができます。クーリングオフは時間的制約が厳しく気付いた時には手遅れというケースが多いのですが、過量販売契約の解除権は1年間行使できますから救済の大きな武器なのです。本事例でも社長が息子さんに過量販売契約の契約解除権についてアドバイスをして、被害救済に協力していれば苦情申立にはならなかったでしょう。■消費者庁から「身近で心強い味方」と名指しされている介護事業者
さて、高齢者などを周囲が見守ることで被害から守ろうとする取り組みの中で、消費者庁から名指しで協力を求められているのが訪問介護事業者などの在宅介護事業者です。ヘルパーやケアマネジャーは、独居の高齢者や少し判断力が低下した高齢者などの居宅を訪問して業務を行っているのですから、立場の弱い騙されやすい高齢者の最も身近に居る人なのです。
当然、日常の会話の中でSF商法の店舗などに通っていることを知ったら、注意を促し被害を未然に防ぐこともできますし、騙された高齢者を早期に発見して代金回収などのアドバイスを行うことも可能です。消費者庁が作成した「高齢者の消費者トラブル見守りガイドブック」 の冒頭にはこう書かれています。
このような消費者トラブルを食い止めるためには、高齢者ご本人が問題意識を高めると共に、ご家族やまわりの方々に日頃から高齢者の様子を気にかけていただき、地域の諸機関と連携して見守ることが必要です。中でも民生委員やヘルパー・ケアマネジャーの方々は、高齢者にとって身近で心強い味方です。
見守りガイドブックは、被害事例や被害防止の取り組み事例がたくさん掲載されているだけでなく、本事例の「過量販売契約の契約解除権」など、被害救済の方法についても優しく解説されている素晴らしいガイドブックです。在宅介護事業者の方は是非研修に浸かっていただきたいと思います。
- 07/08
20252025.07.08- 転倒事故で骨折し入院肺炎で死亡、キーパーソンの長男は納得したが次男が訴訟を起こした
《検討事例》
重い認知症のNさん(男性89歳)は、半身麻痺は軽く車椅子から立ち上がり、他の利用者を叩くなどの迷惑行為をするので、職員は絶えず注意を払っています。キーパーソンの長男は穏やかな方で、Nさんの暴力などで、施設に迷惑をかけていることを申し訳なく思っていました。ある時、機械浴の介助中にNさんが職員の腕を強く握ったため、職員が振り払おうとしてストレッチャーから転落させてしまいました。病院に救急搬送しましたが、大腿骨骨折と診断され入院の上手術をすることになりました。
施設では、入院中も施設職員が見舞いに訪れ様々な援助をしたので、日頃から施設に好意的なキーパーソンの長男は、治療費などの請求もしてきませんでした。しかし、その後入院先の病院で急激に身体機能が低下し衰弱が激しくなり、入院から2カ月後に肺炎で急死してしまいました。
Nさんの葬儀に参列した施設長に対して、東京に住んでいるという次男が「父の転倒・死亡事故について施設に法的責任があるのではないか?」と言いました。長男は「施設のみなさんには本当に良くしていただいたのに失礼なことを言うな」とたしなめました。葬儀の後にも長男が施設にやってきて、「次男は大学から東京に行ったままほとんど戻らないので、こちらの事情が分からず失礼をしました」と恐縮していました。ところが、1カ月後次男が施設を相手取って「Nさんが転倒して死亡したことについて施設に過失がある」と賠償訴訟を起こしました。
《解説》
■過失が明らかな事故では迅速に謝罪し賠償の意向を示すことが重要
この事故の家族対応の最大の問題点は、職員が介助中に利用者を転落させるという過失の大きな事故にもかかわらず、キーパーソンの長男が施設に好意的で責任を追及してこないことに甘えて、施設の法的責任を明確にして謝罪や賠償を行わなかったことです。骨折事故と肺炎での死亡には因果関係がありませんから、原則的に施設はNさんの死亡の責任を問われることはありません。しかし、この骨折事故に対する施設の責任をうやむやにしたままNさんが亡くなったことで、次男から「骨折して死亡させた」というような乱暴な理屈で訴訟を起こされてしまいました。
事故が発生した後、事故状況や施設の法的責任を迅速に説明して謝罪し、家族が事故に対する施設の責任や補償について了解すれば、予後の経過が悪く不測の結果が起きてもその責任まで追及することは難しくなります。しかし、今回のケースのように転倒事故に対する納得の行く説明がないまま、骨折後に入院先で死亡するようなことになれば、事情を良く知らない他の家族が相続権を持つ利害関係者となり、多少乱暴な理屈でも施設の責任を追及してくるかもしれません。
たとえ理不尽な理屈の通らない主張であっても、訴訟の被告となれば施設も大変な労力を強いられますし、大きなイメージダンになります。また、判例にはデイケアの送迎時の転倒骨折事故と入院先での肺炎による死亡(骨折から4カ月後)の因果関係を認めた判例(※)もあるのですから、このケースでも利用者の死亡の責任を問われない保証はありません。
※平成15年3月20日東京地裁判例では「一般に老年者の場合骨折による長期臥床により肺機能低下、誤えん性肺炎などを発症する虞があり、大腿骨頸部骨折を負った後肺炎を発症し、最終的に死亡に至るという経過は通常人が予見可能な経過である」として転倒骨折事故と死亡の因果関係を認めています。■利用者が死亡した場合キーパーソン以外の家族への配慮も大切
さて、この事例のもう一つの大きな問題点は、次男が施設の責任を追及しようとした時、キーパーソンの長男が施設の責任追及をしてきた次男を諌めようとして、施設の肩を持つような発言をしたことです。キーパーソンの長男が「施設のみなさんには本当に良くしていただいたのに」と次男をたしなめたことは、施設にとってプラスに働いたのでしょうか?
実はこの場面で、施設は大きな判断ミスをしました。施設と信頼関係が厚く施設の味方をしてくれるキーパーソンの長男が、この頑なな次男を説得してくれるだろうと考えてしまったことです。次男からしてみれば、施設職員の大きなミスによって父親が骨折して入院し、入院先で亡くなってしまったのに、長男は施設に対して何の責任追及もしないのですから、「施設はお世話になっているという意識が強い兄をうまく丸め込んでいる」と感じるでしょう。
長男が施設の肩を持ち、次男を諌めようとしたことが、訴訟に発展した本当の理由かもしれません。つまり、次男は兄に任せておいても信頼できない、と考えたのかもしれません。もし、長男が次男を諌めた時に、施設側がこの次男の気持ちを察して「弟さんの言い分ももっともなことですから、事故の原因や施設の過失責任については、弟さんの納得行くまでご説明させていただきます」と、対応したらどうでしょう?少なくとも訴訟は避けられたのではないでしょうか?
■理屈の通らない主張の多くは説明不足による事実誤認から生まれる
次に、次男は施設長に面と向かって「父の転倒・死亡事故について施設に法的責任があるのではないか?」と主張しました。「転倒・死亡事故」という言い方は、転倒して頭部を打撲して救急搬送先で亡くなったような場合は当てはまりますが、今回の事故のケースでは当てはまりません。転倒・骨折事故が発生し、入院先の病院で2カ月後に肺炎で亡くなった」というのが客観的事実です。
しかし、父の転倒事故が発生した時に次男は離れた場所に暮らしていて、2カ月後に病院で父が急死して駆けつけたのですから、次男がこの事故後の経過について詳しく理解してないかもしれません。施設は事故後の経過についても次男の納得の行く説明をしなければ、事実を誤解したまま理屈の通らない権利主張をされるかもしれません。必要があれば病院の医師にも依頼して、肺炎で死亡したことには持病の影響などが無かったのかどうかなど、予後の経過説明をしていただくことで、次男の誤解も解けたかもしれません。■キーパーソンよりも身元引受人への説明も軽視しない
多くの場合、入所施設の利用者には「キーパーソンの家族」という人がいます。施設と利用者との関係に日常的に関わる家族であり、緊急連絡先の家族でもあります。このキーパーソンの家族と施設の信頼関係がなければ、施設の業務運営はうまくいきませんから、管理者も「キーパーソンの家族との日常の信頼関係の構築が大切だ」と口をそろえて言います。しかし、キーパーソンの家族と信頼関係が構築できていれば、事故後にトラブルを避けられるかというと、決してそうではありません。本ケースのように、かえってキーパーソンの家族との信頼関係が、他の家族との関係において裏目に出ることもあり得るのです。
こんなトラブルがありました。利用者がショートステイで転倒し差し歯を破損する事故が起きた時のことです。この利用者のキーパーソンの家族は、利用者の息子さんのお嫁さんでしたが大変遠慮深い人で「いつもお世話になっております」とばかり言う方でした。この転倒事故の後もキーパーソンのお嫁さんは、差し歯の修理代も請求してきませんでしたので、そのまま何の対応もしませんでした。すると息子さんが、突然市に苦情申立をしたのです。苦情申立には「日頃から世話になっていて強いことが言えない妻の弱みに付け込んでいる」と書かれていました。
施設では、日頃からコミュニケーションが取りやすいキーパーソンの家族に依存してしまいがちですが、トラブルになりやすい事故などでは、利用者の保護者であり代理人である身元引受人(保証人)の家族への説明も欠かせません。
- 02/22
20252025.02.22- 離床介助時の移乗介助で転倒事故、フットレストに足が当たって車椅子が動いた!
《検討事例》 ≫[関連資料・動画はこちらから]
特養に入所しているMさん(要介護4)は、軽度認知症の93歳の女性です。脳梗塞による右半身麻痺の障害があり、歩行は車椅子全介助です。また、高血圧症、糖尿病、心不全の持病があり薬もたくさん飲んでいます。
ある朝、入社1年目の女性の介護職員が離床介助で、Mさんをベッドから車椅子に移乗しようとしました。Mさんは体重が30キロと痩せて小柄な方なので、非力な女性の介護職員でも比較的に楽に移乗できると介護職員は考えていました。ところが、Mさんをベッドで起こして端座位になってもらい、車椅子のブレーキをかけて所定の位置に停め、Mさんの上半身を前から抱え上げると、健側の足が踏み出せず前によろけてもたれかかりました。介護職員は咄嗟に体重が軽いMさんなので、そのまま車椅子に載せられると考えましたが、車椅子のフットレストにMさんの足が引っかかり、弾みで車椅子が後ろへ動いてしまい、支えられなくなった介護職員はMさんを転倒させてしまいました。
Mさんは、左半身を床に打ち大腿骨の骨折と診断され、入院の上手術をすることになりました。介護職員は、事故報告書の事故原因欄に「体重が軽い利用者なので油断していた」と書きました。施設長は、「Mさんは、早朝はふらつきがあるから注意するようにと言われていたはずだ。いったい何を聞いていたんだ」と叱責し、主任に「もっと緊張感を持って業務に臨むように指導して欲しい」と指示をしました。《事例検討解説》
■介助ミスによる事故の原因は職員の不注意だけか?
移乗介助中の転倒など、誰の目にも介護職員のミスが原因のように見える事故が起こると、事故原因は職員の不注意などと決めつけて、それ以上原因分析をしようとしません。確かに目に見える直接的な事故原因は、職員が利用者を支えきれなかったことかもしれません。しかし、「なぜMさんが急にふらついたのか」「なぜ介護職はMさんを支えられなかったのか?」など、職員のミスを誘発する要因が不明なままです。これらミスを誘発する要因を放置しておけば、違う職員が同じ場面で同じ事故を起こすことになるのです。では、この事故のケースで、「移乗介助中に利用者を転倒させた」という介助ミスを誘発する要因は何だったのでしょうか?
ミスを誘発する要因を3つの方向から探ってみましょう。1つ目は利用者側の要因、つまり「なぜ移乗中にMさんが急にふらついたか?」という要因です。Mさんは、血糖降下剤や血圧降下剤など転倒につながる薬を服用していますから、服薬の影響がふらつきの要因として考えられます。2つ目は介護職側の要因、つまり「なぜ介護職はふらついた利用者を支えられなかったのか?」という要因です。体重の軽いMさんですから、上半身を抱えて抱き上げるという無理な移乗介助方法でも支えられると考えたのでしょう。介助動作が不適切であったことが要因です。3つの目は環境要因、つまり「移乗介助を行う環境が安全だったのか?」という要因です。「フットレストに足が引っかかり車椅子が後ろに動いた」ということは、車椅子にミスを誘発する要因があるのかもしれません。
このように、事故を誘発する背景要因を探る時には、3つの視点で検討するとたくさんの要因が見つけられます。この要因分析の手法は、製造業などで使われるSHELLモデル(※)と言われるヒューマンエラーの分析手法は簡素化して介護に当てはめたもので、介護現場では分かりやすいので良く使っています。
介護現場で事故の原因分析と再発防止策の検討がなかなかうまくいかないのは、事故が職員のミスによって起こるように見えるため、事故原因は職員のミスとの固定観念で捉えていて、多角的な要因分析を怠っているからなのです。
※SHELLモデル:ヒューマンエラーの要因を分析する手法。次の5つの要因に分けて分析する。S→software:業務手順や作業手順、H→hardware:用具や道具、E→environment:設備など業務環境、L→liveware:業務を行う本人、L→liveware:業務を行う本人以外の人
■なぜMさんは早朝だけふらつきがあるのか?
さて、早朝の離床介助時にふらついて転倒する利用者がたくさんいます。施設長が言うように「早朝ふらつくから注意するように」ではなく、なぜ早朝ふらつくのかその原因を分析してふらつかないように対策を講じなくてはなりません。Mさんのケースを詳しく考えてみましょう。
前述のようにMさんは多剤服用である上に、転倒の要因となる服薬が多いので、早朝にふらつくことが考えられます。まず、糖尿病で血糖降下剤を服用していますから、早朝に低血糖発作を起こしているかもしれません。高齢の糖尿病患者の3割が夜間不顕性低血糖発作で、異常な低血糖状態にあると言われています。当然早朝のふらつきの原因になります。次に血圧降下剤と利尿剤(心疾患による浮腫の薬)を併用していますから、利尿作用で血圧降下作用が増強され低血圧状態になります。また利尿作用による脱水も早朝は現れやすいでしょう。そして、睡眠導入剤のエチゾラムは半減期が6.3時間と比較的長時間作用しますから、早朝には作用が持続している可能性があります。
そして、最も注意を要するのはMさんの年齢と体格に対して処方量が多過ぎることです。どの処方薬も成人の処方量ですが、Mさんは93歳で体重が30㎏と超高齢で小柄な体格です。超高齢で代謝機能が衰えている上、標準的な成人の半分の体重しかありません。体重80キロの50歳代の患者と同じ処方量では、過量処方になり作用が過剰になっていると考えられます。売薬でさえ「14歳未満半量」などの年齢差や体格差により処方量が異なるのに、なぜ「80歳以上半量」という用量指定が無いのでしょうか?
■安全な介護環境で介助ができているか?
もう一つ、職員の介助ミスを誘発する最大の要因があります。介護環境の要因です。労働安全の分野では、安全教育指導以上に重要視される労災事故の要因が労働環境であり、その改善の責任は専ら現場管理者とされていますが、介護現場では労災事故が少ないため誰も気に留めません。
本事例の介護環境を検証してみましょう。「車椅子のフットレストにMさんの足が引っかかり、弾みで車椅子が後ろへ動いた」とありますから、この車椅子はフットレストが開かない構造の古いタイプの車椅子なのでしょう。当然、アームレストも上がりませんから、無理して利用者の上半身を抱え上げなくてはなりません。安全機能が劣る古い車椅子は移乗介助の負担が大きくなりますから、事故を誘発する大きな要因になります。
また、フットレストに利用者の足が引っかかった時、ブレーキがかかっているのに後ろに動いたと言うことは、ブレーキが効いていなかった(緩んでいたのではない)可能性が高いと言えます。車椅子のブレーキはタイヤの表面を押さえて止める構造ですから、ブレーキが緩んでいなくてもブレーキは効きません。実際に特養などの車椅子を点検して驚くのは、タイヤの空気が少ない、タイヤの表面が摩耗してツルツル、というような車椅子を多く見かけることです。こんな手入れもされていない車椅子で安全な移乗介助などできません。介助しづらい環境で無理をして介助をしていれば、事故の危険が大きくなることは自明の理なのです。
古い施設の管理者に車椅子の状態を指摘したところ、「まあ古い施設だから仕方ありません」と全く改善する気がありませんでした。「こんな古い機能が劣る車椅子では安全なトランスなどできないでしょう」と言うと、「古い車椅子でも安全に移乗させるのがプロの技量ですよ」と訳の分からない返事が返ってきました。労働安全と同様に、安全な介護環境を保障するのは、管理者の仕事だと自覚してもらいたいと思います。
- 02/22
20252025.02.22- デイの送迎時、居宅の門から玄関まで職員2人で支えて移動介助中に転倒骨折
《検討事例》
デイサービスの利用者のBさんは立位が困難で車椅子全介助の利用者です。しかし、Bさんの居宅は玄関から門扉まで15mも距離がある上、通路に砂利と飛び石が敷いてあり、車椅子での移動介助ができません。単独で立位は困難ですが、職員が両側で支えれば立位が取れるため、毎回この場所だけは職員二人がBさんを両側から支えてゆっくり歩行しています。ある日、Bさんが突然膝折れして転倒して骨折してしまいました。家族は職員の介助ミスだと主張しています。《事例検討解説》
■職員の介助ミスが原因だが介助環境の危険も大きい
もちろん、本事例の事故の直接的な原因は両側から職員二人で介助していながら、利用者を転倒させてしまったことです。ですから、この事故は職員の介助ミスが原因として過失と判断され、デイサービスが損害賠償責任を負わなくてはなりません。しかし、Bさんの居宅の移動介助の環境は安全な環境だったのでしょうか?立位が取れない身体機能の利用者を、砂利道で立たせて介助して歩行させることは、誰の目から見ても危険なことは明白です。
ですから、本来はこの砂利道を舗装することで車椅子介助ができるようにすべきだったのです。ただし、デイサービスはこのような危険な環境であっても、一旦送迎業務を引き受けてしまえば安全に介助する義務が生じますから、後になって居宅の移動環境の危険が事故原因だと主張することはできません。
実は本事例だけでなく、送迎車と居宅の玄関の間の移動環境が著しく悪いために、無理な移動介助を行なっている例がたくさんあります。「エレベーターが無いために団地の3階まで、利用者を背負って階段を上っている」「玄関の手前に大きな段差があり車椅子から降ろして抱え上げている」「居宅前に送迎車が停車できないため、狭い悪路の路地を車椅子移動する」など、送迎員は様々な悪条件の中で苦労を強いられています。そしてこのような居宅の送迎環境の悪条件のために起きている事故が少なくありません。
■居宅の移動環境の危険を是正するのは誰の役割か?
では、もともとその利用者の居宅が危険な環境で、送迎時の移動介助に事故の危険があれば、どのタイミングで誰がこれらを是正すれば良いのでしょうか?そこで問題となるのがサービス提供開始時のリスクアセスメント(リスク評価)が不十分であることです。ケアマネジャーからデイサービス利用のオファーがあった時、相談員はその利用者のサービス利用上のリスクを評価して、デイサービスを安全に利用できる条件が整っているか判断しなければなりません。例えば、利用者の疾患によってデイサービスを安全に利用できないと判断すれば、相談員はデイサービスの利用を断るはずです。では、相談員は居宅の移動介助の環境が安全な状態であるかどうか、なぜチェックをしないのでしょうか?実は、送迎時の移動介助中の事故の本当の原因は、サービス提供開始時に安全な移動介助の環境であるかどうかをチェックしていないことにあるのです。
■ケアマネジャーの役割が大きい
ケアマネジャーからデイサービス利用のオファーがあった時、デイサービス側の安全なサービス利用のチェック項目に、居宅の移動環境が無いことに問題があると指摘しました。では、デイサービスの相談員が居宅の玄関と門扉の間の移動環境の危険に気付いたら、どのようにこれらの危険を改善すれば良いのでしょうか?次の手順で取り組んでみてはいかがでしょうか?
①玄関の中や外の段差、敷地内の通路など居宅側の移動環境の危険を評価する
まず、ケアマネジャーからサービス提供のオファーがあった時点で、居宅での送迎業務の環境を点検し、著しく危険な箇所があれば改善を求めます。介助員一人での移動が難しければ、ケアマネジャーに依頼して、送迎介助のヘルパーの導入を求めることも考えなければなりません。
②居宅敷地内の移動環境が悪ければ住宅改修の制度も利用する
ケアマネジャーは、居宅敷地内の移動環境が著しく悪く、安全なサービス提供の大きな障害になると判断すれば、家族に対して住宅改修の制度などを説明し改善の協力を求めます。よく「独居の利用者なのでそこまで要求はできない」などと、簡単に諦めてしまうケアマネジャーも居ますが、家族が近所に住んでいる場合などは、「ご自宅の通路は極めて危険で介助歩行も車椅子移動も無理な環境です。事故の危険が高いので改善に協力して下さい」と、家族に交渉しなければなりません。
③改善が不可能であればサービス提供を断ることもあり得る
デイサービス事業者は、ケアマネジャーからデイ利用のオファーがあると、サービス提供を行なうことを前提にそのままの環境を容認してしまいます。もし、ケアマネジャーと家族に環境改善を依頼した上で、どうしても改善が不可能で著しく危険であれば「安全なサービス提供はできない」という理由で、サービス提供を断ることもあり得るのです。
■移動環境の改善は知恵を使えば様々な方法がある
次に、デイサービスの送迎時の移動環境が著しく悪く、知恵を使って改善できた事例をご紹介しましょう。
あるデイサービスでは、築42年の木造アパートの2階に住んでいる独居の男性利用者Hさんを、背負って階段を上り居室まで送迎しており、不安に感じていました。築42年の木造アパートですから、木製の階段もギシギシと音がして手すりがぐらつくなど、介助員はいつも不安を感じていたのです。ある日、利用者を背負って階段を上っている時、介助員がふらついて手すりに捉まると、手すりが根元で折れてしまいました。幸い転落は免れたものの危ういところでした。介助員が大家さんに謝りに行くと大家さんが言いました。「もう古い家だから手すりも折れるよ。1階の居室が空いているから、移ってもらったら楽になるんじゃないですか?」と。早速ケアマネジャーと相談し、Hさんは1階の部屋に移り無理な送迎はなくなりました。大家さんのご厚意というのもHさんのサービス提供を支える大きな社会資源だったのです。
また、あるケアマネジャーさんは、市営住宅の5階に住んでいる独居の男性利用者(車椅子使用)のデイサービス利用の話が出た時に、すぐにデイサービス利用をプランニングしませんでした。「エレベーターが無いこの市営住宅では5階までの上り下りが大変なので、高優賃の1階を申し込んで引っ越しができたらデイサービスを利用しましょう」と言って、高優賃の1階を申し込んだのです。半年後に引っ越しができたので、楽にデイサービスを利用することができました。デイサービスの送迎環境の危険は、利用者の生命にかかわる事故にもつながります。もっとケアマネジャーが関わって改