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20252025.09.14- 誤嚥死亡事故で事故の調査報告書を提出しろと要求する医師の息子
《検討事例》
Mさん(78歳女性・要介護4)は軽度の認知症がある、特別養護老人ホームの入所者です。構音障害と強い右麻痺があり食事は全介助ですが、嚥下機能の障害はなく食事も普通食です。食事中に時々むせることがありますが、誤嚥のリスクはありません。
ある日夕食時に介護職員が食事介助をしていると、急にむせ始めました。介護職員は食事介助を止めて軽く背を叩いてむせが収まるのを待ちましたが、急に「ヒー」という高い呼吸音が聞こえ、むせが止まりました。介護職員は、誤嚥と判断してMさんを前かがみにしてタッピングを行いました。しばらくタッピングを続けましたが、チアノーゼに気づいて、看護師を呼び吸引を施行しました。少量の食べ物が吸引されましたが、呼吸は回復しません。看護師は吸引を諦め救急車を要請し、心肺蘇生術を施し続けましたが、救急搬送後に病院で死亡が確認されました。
医師である息子さんが、誤嚥事故の調査報告書を出して欲しいと言ってきたので、施設では食事介助の記録や誤嚥発生時の対応記録を付して、次のような内容で報告しました。
・Mさんは、嚥下機能に障害は無く食事形態も普通食である。
・過去に誤嚥の兆候が見られたことも無く、誤嚥の危険が高い利用者とは言えない。
・よってMさんは誤嚥防止の特別な配慮は必要なく、誤嚥事故は予測不可能であった。
息子さんは、「誤嚥リスクの評価や誤嚥の原因などの検証が不十分であり、誤嚥発生時の対応にも問題がある」と言ってきました。
■Mさんの誤嚥リスクの評価は正しいか?
施設側では、「嚥下機能障害が無く普通食で誤嚥の兆候は無かったので、Mさんは誤嚥のリスクが高かったとは言えない」と報告しましたが、息子さんは納得しませんでした。施設が主張するように、嚥下機能に障害が無ければ、誤嚥のリスクは低いのでしょうか?施設の誤嚥リスクの評価についてチェックしてみましょう。
以前は、「誤嚥事故の原因は嚥下機能障害である」と言われていましたが、最近では「誤嚥事故には嚥下機能だけでなく、咀嚼や食塊形成など含めた摂食嚥下機能全てが関わっている」と言われるようになりました。ですから、Mさんの誤嚥リスクを評価するには、摂食嚥下機能全般に支障がないかを調べなければなりませんでした。
例えば、Mさんには構音障害と強い右麻痺がありますから、口腔内の働きに障害がある可能性があり、咀嚼→食塊形成→食べ物の送り込みがうまく行かないかもしれません。また、服薬によって発生する摂食嚥下機能低下など誤嚥リスクは大変多彩です。抗精神病薬や抗認知症薬が摂食嚥下機能に悪影響を与えることは広く知られていますが、その他にも誤嚥リスクを高める服薬は多いので注意が必要です。
例えば、利尿剤、三環系抗うつ薬、交感神経遮断薬、抗ヒスタミン剤、抗精神病薬などは、口腔内を乾燥させる副作用があり、咀嚼や食塊形成、咽頭への送り込みなど口腔機能が低下します。また、パーキンソン病薬は不随意運動により食塊形成やえん下機能に悪影響を与えることがありますし、抗コリン剤、三環系抗うつ薬、Ca拮抗薬は、咽頭筋の働きが低下し、えん下反射に悪影響を与えます。
当然、誤嚥リスクを正しく評価した上で、これらに見合った食材や食事形態の選択をしなくてはなりませんから、「嚥下機能に障害がないので普通食」という調査報告では、誤嚥リスクの評価は不十分と見られてしまいます。
■誤嚥事故の調査報告書はどのように作るべきか?
次に、摂食嚥下機能の評価を含めた、誤嚥事故の原因の調査項目を検証してみましょう。誤嚥事故など事故の調査報告書を要求された場合は、事故原因を調査し過失がなかったかどうかを検証して報告しなければなりません。ここでは、誤嚥事故が発生した時の過失のチェック項目をご紹介します。
・摂食えん下機能を正しく評価していたか?
入所時にSTによる改訂水飲みテストなどを実施していれば、その記録を提出します。
・服薬によるえん下機能の影響をチェックしていたか?
一般的な服薬による誤嚥リスクについて検証します。薬剤を処方した医師による意見が添付されていると効果的です。
・摂食えん下機能に合った食材や食事形態を選択していたか?
現在ではソフト食・軟采食などの食事形態が主流ですから、キザミ・ミジンなど不適切な食事形態がないかチェックしましょう。
・認知症固有の誤嚥の危険に対して配慮をしていたか?
認知機能の低下によって危険な食べ方(早食い・詰め込み・丸呑み)をする利用者に対しては、自力摂取でも見守りが必要になります。
・誤嚥を防ぐ正しい食事姿勢への配慮をしていたか?
食事に適した前かがみ姿勢で食事ができるように配慮することが大切です。特に車椅子でのズッコケ座りは食べ物が気管に混入するので危険です。
・食前に口腔機能を円滑にするための配慮をしていたか?
覚醒を確認し水分摂取で口腔内を潤してから、食事介助を始めなければなりません。
・食事を急がせないよう時間的余裕の配慮をしていたか?
口腔内の食べ物を飲み込んでから次の一口を口元に運ばなければなりません。
・嘔吐物を誤嚥しないよう体調不良に配慮していたか?
食事中の嘔吐は嘔吐物の誤嚥につながりますから、体調チェックを欠かさずに。
このように、誤嚥を防止するためのチェック項目は実に多彩であり、誤嚥事故発生時にはこれらの防止対策が徹底できていたかを調査しなければなりません。
■誤嚥事故発生時の対処ミスがなかったか?
誤嚥事故は、その発生を防止する対策も重要ですが、誤嚥発生時の対処にミスがなかったかどうかは、事故後の争いでは大きな問題なります。誤嚥死亡事故の裁判では、誤嚥発生の過失と共に発生時の対処ミスが過失として大きな争点になっているからです。誤嚥発生時の対処の過失について、参考になる判例があります。
平成12年2月23日横浜地方裁判所川崎支部の誤嚥死亡事故訴訟の判決は次のような内容でした。「利用者は飲み込みが悪かったのであるから、食事後の異変を誤嚥と気付き対処すべきところ、15分後に救急車を呼ぶまで吸引などの救命措置をしなかった点に適切な処置を怠った過失が認められる。」と。この判決は「救命処置を行わなかったことが過失である」と解釈する人もいますが、救急車の要請が遅れたことも大きな過失です。人は呼吸が停止すると15分~20分程度で絶命します。救急車は到着に最低でも6分(都市部)を要しますから、15分で要請すれば救急車の到着は呼吸停止から21分経過しており、間違いなく絶命しています。つまり、救急車の要請時間は誤嚥発生時の対応の最も大きなポイントなのです。
本事例の誤嚥事故の対応から、救急車を要請した時間を検証してみましょう。誤嚥発生からタッピング施行まで2分かかり、タッピングを3分間施行したとします。次に吸引の要請から吸引開始までに3分、吸引の施行に3分かかり、119番通報したとすれば、救急車の要請までに12分を要します。救急車が6分後に到着すれば、呼吸停止から救急車の到着まで16分経過していますから絶命しています。救命を最優先すれば「誤嚥の発生に気付いたら看護師に吸引の要請を行い、看護師が吸引を開始するまでタッピングやハイムリックを施行する。看護師は吸引を開始する時に救急車の要請を行い救急車到着まで吸引を施行する」という手順になります。
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20252025.09.14- 「誤薬が多すぎるから原因を分析としろ」と本部から指示され、分析してみたが何も分からない
《検討事例》
特別養護老人ホームのショートステイでまた誤薬事故が起きました。採用になってから2カ月しか経っていない職員が、認知症の利用者に他の利用者の薬を飲ませてしまったのです。業務に慣れていない職員のミスではありますが、今月3回目の誤薬事故ですから、施設長も内心穏やかではありません。誤薬した職員はマニュアル通りに、利用者の氏名を声に出して読み上げ他の職員と二人で確認しましたが、それでも事故を防げませんでした。職員は施設長に事故報告書を提出して「忙しかったので確認が疎かになってしまった。今後はもっと落ち着いて確認する」と、再発防止策を説明しました。施設長は「確認する前に深呼吸して落ち着くように」と、確認方法をアドバイスしましたが、翌月同じ職員がまた誤薬してしまいました。
誤薬事故が続くと、今度は法人本部のリスクマネジメント委員会が黙っていません。事故原因を分析して防止対策を見直すようにと指示してきました。施設長は「原因は職員の不注意に決まっているじゃないか」と思いましたが、言われたとおりに過去1年間の誤薬の事故報告書を調べて、原因を一覧表にしてみました(下表)。すると思った通り、食事の介助などで注意が散漫になっていることが主な原因と判明しました。食事が終わった利用者から随時服薬するのでは、服薬時の注意が散漫になると考えた施設長は、翌月から一斉服薬に変更するようショートの主任に指示しました。
【誤薬事故の原因】
「注意が散漫だった」 5件
「与薬に集中していなかった」 4件
「ほかのことに気を取られていた」 4件
「時間が迫っていて急いだから」 5件
「忙しかったから」 2件
「同じ苗字だったから」 2件
《解説》
■職員の個人的な原因を調べても意味は無い
誤薬事故の防止対策を検討する前に、基本的なことを確認しておきましょう。そもそも、誤薬事故とはどんな事故なのでしょうか?「誤った薬を服薬する」「誤った方法で服薬する」などの事故を言いますが、2種類に大別されます。自分の薬を飲み間違える「飲み間違い誤薬」と他人の薬を飲んでしまう「取り違え誤薬」です。通常後者を誤薬事故と呼んでいますが、「飲み忘れ」「服薬量誤り」などの飲み間違い誤薬も厳密に言えば誤薬事故となりますが、飲み間違い誤薬は大きなリスクではありませんので、本稿でも後者の取り違え誤薬を取り上げます。
さて、施設長は本部からの指示でしぶしぶ誤薬の原因分析を行いましたが、結局事故報告書の事故原因欄に書かれたミスの主観的要因を挙げただけでした。もともと誤薬事故は「職員のミスが原因」という強い思い込みがあるため、あえて原因分析と言われるとどのような心理的状態で誤薬したのかという意味のない原因分析になってしまいます。
実は誤薬の原因分析で大切なことは、「何を間違えたのか?」という、間違え方の分析なのです。まず服用する薬を間違える「取り違え誤薬」は2つの間違え方があり、どちらが多いのかを分析しないと効果的な防止対策にはつながりません。本事例の場合“何を”間違えたのでしょう。
利用者を取り違えたのでしょうか?それとも薬を取り違えたのでしょうか?AさんをBさんだと勘違いしてBさんの薬を飲ませるのが利用者の取り違えであり、Aさんの薬だと思ってBさんの薬を取り上げてしまうのが薬の取り違えです。前者の間違いが多ければ、本人確認手順を見直さなければなりませんし、後者の間違いが多ければ薬ボックスや薬袋の氏名確認の手順を工夫しなくてはなりません。このように分析してみると、ショートステイの誤薬は利用者の取り違えが多いことが分かりますから、本人確認の手順を見直すことが対策につながると分かるのです。
■服薬前の確認手順だけでは誤薬は防止できない
次に、誤薬の防止対策を考える時、2つの確認手順をマニュアル化しなければなりません。1つは、ミスの発生を防止するための確認手順です。食事の介助から服薬介助に至るプロセスの中で、薬の取り違え防止のための確認手順と利用者の取り違えを防止するための確認手順をどの場面でどのようにして行えば良いかを考えます。2つ目は、服薬直前の薬と本人の確認手順です。これはミスが発生た場合に、ミスを発見する手順なのです。本事例の場合、ミスを発見する確認手順しかないことになるのです。
例えば、居室から山田さんを食事の席に誘導しようとして、間違えて山野さんを連れてきたらどうでしょうか?当然山野さんに山田さんの食膳を配置した上に、山田さんの薬を飲ませてしまいますから、誤配・誤食事故と誤薬事故が同時起きることになります。すると、利用者を食事席に誘導する時点の本人確認の手順を考えなければなりません。
また、お薬ボックスから山田さんの薬をピックアップしようとして、お薬ボックスの名前を見間違えて、山野さんの薬を取り上げてしまうこともあります。この場面では、山田さんの薬を確実にピックアップするよう、利用者の氏名を確認する手順の工夫が必要になります。このように、ミスが発生しやすい場面に有効な確認手順を作ることで、ミスの発生を抑制する対策を講じることができます。
■氏名を読み上げて本人確認ができるか?
ミスが発生しやすい場面に、ミスの発生を防止する確認手順を作っても、それでもミスは起こりますのから、服薬直前にミスを発見するチェックの仕組が必要になります。本事例の場合「本人の氏名をフルネームで読み上げ、職員2名で確認する」というのが、決められた手順です。実はどの施設のマニュアルにも、同じような本人確認手順が載っていますが、氏名をフルネームで読み上げることが本人確認の方法として効果的な方法なのでしょうか?
職員が2人とも目の前にいる山田さんを山野さんだと思い込んでいれば間違いに気付きませんし、利用者に聞いても認知症があれば自分の氏名の間違いは指摘してくれません。私たちは、役所や銀行で本人確認をされる時、必ず「免許証を拝見します」と言われます。顔写真で本人を確認する方法が、最も簡便で最も効果的なのです。
施設もこの方法を採用すれば間違いは半減するのです。具体的には、利用者の顔写真と薬の写真を載せた食札(お薬確認シート)を作ります。この食札をお盆に載せて薬と一緒に本人の前に持って行き、「山田さん、お薬の時間です。山田さんのお薬に間違いありませんか?」と確認しながら、顔写真と利用者の顔を見比べるのです。こうすることで、利用者の取り違えも薬の取り違えもほとんど水際で防げるのです。不思議なことに人の目は映像化されると容易に違いを認識できるのです。「見える化」なんていう言葉が流行りましたが、実はビジュアルで捉えることは効果的なのです。
最近は、調剤薬局が利用者ごとに薬を一包化してくれるので、以前に比べて薬の間違いが少なくなりました。施設職員は調剤薬局が一包化した薬ほとんど確認していませんが、ある時お薬カードの写真と薬が異なることに気付きました。調剤薬局も薬を間違うことがあるのですから、確認を怠ってはいけません。
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20252025.09.14- 送迎車の車椅子固定ミスで転倒事故?運転手は「確かに固定したはず!」
《検討事例》
Sデイサービスでは、車椅子を搭載できる大型のワンボックス車を送迎車として使用しています。ある日の朝のお迎えの送迎時に、いつものように車椅子の利用者を送迎車に載せて、車を発進させました。すると突然利用者の乗った車椅子が後ろへひっくり返りそうになりました。幸い車椅子のすぐ後ろに、他の利用者の移動介助に使用する車椅子を畳んで置いてあったため、利用者にはケガはありませんでした。しかし、利用者から「怖い思いをした」とクレームがあり、所長は「運転手の車椅子の固定を忘れたのではないか」と咎めました。運転手は「確かに固定したつもりだったが」と自信なさげに答え、所長は朝礼で「車椅子を固定した時には声に出して確認すること」と、運転手と職員に指導をしました。
ところがその1か月後、今度はお送りの送迎時にデイの職員が車椅子を固定した後に、やはり発車する時車椅子が後方に転倒して、利用者は後頭部を強打して意識不明となる事故が起きました。所長は「あれほど車椅子の固定確認を行うように徹底したのに」と憤慨しました。しかし、車椅子を固定した職員は、「車椅子の固定ワイアーのフックを車椅子に引っ掛けて、スイッチを入れウインチがワイアーを引いて車椅子が固定されるのを確認した」と反論しました。しかし所長は「フックをしっかり引っかけていれば外れることは無いのだから、職員のミスに変わりはない」と、今度は職員の固定作業の操作ミスであると決めつけます。1か月後、事故の本当の原因が判明しました。車椅子固定装置のスイッチがむき出しになっているために、固定した後にスイッチに何かが(誰かが)触れて、スイッチが解除になってしまうことが分かったのです。
《解説》
■原因は運転手のミスと決めつけ調査をしなかった
本事例では、最初の事故が起きた時に「原因は職員が車椅子の固定を忘れたこと」と決めつけて、他の原因を検証しようとしなかったので、「声に出して確認する」という見当違いな対策になり、重傷事故につながってしまいました。最初の事故の時に、職員の車椅子の固定忘れ以外にも事故の原因についても検証していたら、2度目の重傷事故は防げたかもしれません。
このような、職員が関わる作業などで事故が起こると、すぐに職員のミスが原因と決めつけて職員に注意を促して済ましてしまいますが、実は後から装置の誤作動などメカニカルな原因と判明することが良くあります。ですから、本事例のようなケースでも、職員のミスとメカニカルな原因の2つの側面から原因の検証を行わなければなりません。検証の手順は次の通りです。
まず、職員のミスによって事故が発生したと仮定した場合、原因の検証は2通りの方法で行います。一つ目は、「ミスの発生防止のチェック手順ができているか」を検証することです。例えば、車椅子を固定したら車椅子を指さして「車椅子の固定完了」と発声する(指差呼称)などの、チェック動作です。2つ目は、「ミスを発見するチェックの仕組ができているか」を検証することです。例えば、「車椅子を固定したら車椅子を引いて固定されているかを確認する」というチェック動作です。これらの2つの原因の検証で重要なのは、後者の「ミスを発見するチェックの仕組ができているか」なのです。
本事例の場合、次のようなヒューマンエラーの原因が考えられますが、1つ目の「ミスの発生防止のチェック手順」で防げるのは①だけなのです。
①車椅子の固定操作を忘れてしまった
②車椅子の固定作業の時にフックをかけ忘れた
③車椅子にフックをかけたが不完全で外れてしまった
④車椅子のフックを間違った場所にかけてしまった
■メカニカルな原因も検証する
さて、職員のミスの検証と共に、メカニカルな原因について検証しなければなりません。どんなに精巧にできた機械・装置でも完璧という保証はありませんし、ご操作によって起こる事故も少なくないからです。しかし、本事例のような車椅子固定装置のメカニカルな原因を検証するのは容易ではありませんが、本事例の事故につながるような不具合を想定することはできます。本事例の事故につながるメカニカルなトラブルは、次のようなケースが考えられます。
・フックを掛け固定スイッチを入れたのにワイアーが締まらなかった
・フックが不良品でうまく掛からず外れてしまった
・固定された後にワイアーが緩んでしまった
・固定された後にスイッチが解除されてしまった
このような、メカニカルなトラブルの原因を検証するために、機械を分解して原因を究明することは不可能ですから、操作してみて誤動作が起こらないかどうかを確認します。
メカニカルな原因の検証は、次のような方法で行います。
①機器の取扱い説明書の操作方法通りに操作しているか確認する
②取扱い説明書に書いてある操作方法に従って操作を行ってみる
③車椅子を変えるなど条件を変えて同じ操作を最低20回繰り返してみる
④これらの検証を文書で記録する
さて、20回同じ操作を繰り返しても誤動作など簡単に現れませんから、機器は正常に稼働するでしょう。ここで、メーカーに電話を入れて次のように話します。「車椅子の固定不備で事故が起こった。職員のミスの可能性もあるが固定装置の誤動作の可能性はないのか確認したい。同一製品で誤動作などの報告は来ていませんか?当施設では、取扱説明書通りに操作試験を繰り返していますが」と。メーカーは、同一の製品について同じような危害報告があれば、これを顧客に公表しなければなりませんから、真剣に対応してくれるはずです。
■車椅子固定装置の欠陥かもしれない
メカニカルなトラブルを検証するために、説明書の通りに操作を繰り返すことで、操作方法の問題点に気付くことがあります。本事例の車椅子固定装置も実際に何度も操作してみると、固定装置のスイッチが無防備なことに気付くはずです。固定装置のスイッチは横を向いていてカバーもありません。おまけに見えにくい低い位置に付いています。車椅子を固定した後に職員の足がスイッチに触れてしまったら、固定装置が解除されてしまうかもしれません。装置を何度も操作してみることで、操作時に偶発的に起きるようなアクシデントも発見できることがあるのです。
さて、本事例の2度目の事故で利用者が亡くなるような重大事故になったら、施設は責任を問われるのでしょうか?偶発的に固定装置のスイッチに職員の足が触れてしまったことが原因だとしたら、施設の過失になるのでしょうか?
職員の誤操作が原因とされて、施設が賠償責任を問われる可能性は高いのですが、メーカーが製造物責任法による賠償責任を問われる可能性も高いと考えられます。なぜなら、通常の操作方法でも誤操作して事故につながるような構造の製品は、その事故の防止に対してメーカーが防止措置を講じる義務があるからです。具体的には、まず誤操作が起きないような安全装置を付けるなどの対策を講じて、それでも事故の危険があれば取扱い説明書に安全上の警告表示をしなければならないのです。この車椅子固定装置のスイッチにカバーをして、応急処置をしてみましたが、メーカーは設計段階でこのようなリスクを想定して安全設計の対策を講じなければならないのです。
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20252025.09.14- 「デイサービスで補聴器を失くした」と言われ、職員総動員で隅々まで探したがクレームに
《検討事例》
Hさん(88歳女性)は、認知症がある要介護5の重度の利用者で、当デイサービス(週2回)と併設の居宅介護支援及び訪問介護(週4回)を利用しています。デイサービスでは座位で過ごしていただき、送迎にはリクライニング車いすを使用し、自宅前の階段は運転手と助手で抱えて移動、玄関で自宅用の車椅子へ移乗しヘルパーに引き継ぎます。重度の難聴で補聴器を使用しており、呼び掛けにはうなずく程度の反応があります。
ある日、デイサービスからの送迎帰宅後、Hさんの息子さんから電話があり「デイサービスから帰ってきたら補聴器がなくなっている。難聴がかなり進んでいるので困る」とクレームを言われました。相談員は「送迎の時かもしれないので、ご自宅前を見てもらえませんか?」とお願いすると、10分後に電話があり「自宅前は草むらだってある、簡単には見つからないだろ」とイライラした調子で話しました。
デイサービスではすぐにデイルームと送迎車内を捜しましたが見つかりません。送迎介助のヘルパーに確認すると、「帰宅後にベッドまでお連れして補聴器がないことに気付いた。居宅内と車いすを捜したが見つからなかった」と答えました。
翌日、ケアマネジャーに報告すると「もう少し念入りに捜して欲しい」と言うだけです。3日後に所長が息子に電話で「デイサービス内を捜しましたが見つからず、保険で処理したいので補聴器の価格を教えて欲しい」とお願いすると、価格は12万程度とのこと。保険会社に事故報告するが、警察への紛失届を出し一定期間発見を待たなければ、保険金は出ないと判明した。その後利用者は補聴器無しでデイの利用を継続。2ヵ月後息子から「母は若い時から耳が悪く障害者手帳を持っており、市の補助で新品が買えた」と報告があった。翌日所長が電話で謝罪すると、「お宅のケアマネジャーには、障害者手帳のことも話していた。もっと早く対応できたはずだ、おかげで不便した」とクレームを言われた。
《解説》
■送迎経路の捜索を家族任せにしてしまった
デイサービスでは利用者の持ち物の紛失事故は比較的発生頻度の高い事故です。しかし、頻繁に起こる割にはデイ側の対応が場当たり的で、小さなことでトラブルになっています。発生頻度の高い事故であれば、トラブルを避ける対応方法をルール化しておかなければなりません。持ち物の紛失は、転倒などの人身被害と違って軽く考える傾向がありますが、実はもともと対応が難しいトラブルになりやすい事故で、その理由は2つあります。
理由の1つ目は「紛失した物品が見つからない限りどこで失くしたのか分からない」ということにあります。本事例のケースでもデイサービス側は「居宅で失くした可能性もある」と考えているので、「家の前は家族で捜して下さい」という対応で、「無責感がない」との印象を与えしまっていまいました。
ですから、まず初動対応では「施設の管理下で紛失が起きた」と仮定して、対応しなければなりません。本事例でも、連絡直後に「送迎時の紛失かもしれませんからご自宅前を捜しに行きます」と、迅速に対応していれば施設に対する印象は全く違ったはずです。夕方5時頃に利用者宅の前を捜索に行き、暗くなっても熱心に捜していたら「こんな暗くなるまで捜していただいて」と、家族は労いの言葉の一つもかけるでしょう。初動対応で相手の期待以上の対応をすることは、その後のトラブル防止には大きく役立つのです。
デイサービス内の捜索も同じです。「すぐにデイサービス内を捜してご連絡します」と迅速に対応した上で、「一通り捜しましたが見つかりませんので、明日職員を動員して徹底的に捜します」と連絡すれば良いのです。そうすれば、結果的に紛失物が見つからなくても、家族は対応の熱心さに対して満足してくれる訳です。「紛失物発生時は2度捜索する」というのが、紛失事故発生時の初動対応のコツです。
■補聴器紛失すれば利用者の生活の支障が出る
持ち物の紛失がトラブルになりやすい2つ目の理由は、「紛失したモノを捜索する」という対応しかしないからです。紛失物の対応にはもう一つ重要な対応があるのです。それは、持ち物を紛失したことによる、利用者の生活の不便を解消する努力をしてあげることです。
本事例のケースでは、補聴器を失くしたのですから、利用者は家族とコミュニケーションができず不便をします。息子も「難聴がかなり進んでいるので困る」と不便を訴えています。では、どのようにして補聴器紛失による、利用者の不便を解消したらよいのでしょうか?「紛失物がすぐに見つかる保証はありませんから、その間お母さまにはご不便をかけてしまいます。代わりの補聴器をお持ちしますので、見つかるまでお使いください」と補聴器をお届けしたら、配慮の行き届いたデイサービスだと家族は感じるでしょう。
あるデイサービスでは、利用者が生活補助具を紛失した際には、発見されるまで使っていただくように、貸し出し用の物品を備えているところがあります。杖、老眼鏡、補聴器などはデイサービスでの紛失が多い生活補助具で、これらが無くなれば利用者はすぐに生活が不便になります。
デイサービスでは、これらの生活補助具を紛失したという訴えがあった時、貸し出し用の物をお届けするのです。利用者や家族は、細かい心遣いをしてくれる優しいデイサービスだと喜びます。「物が紛失したら一生懸命捜せば良い」と短絡的に考えず、利用者の生活にも配慮してあげて下さい。
■保険に請求すれば紛失事故が解決すると考えている
物の破損や紛失では、その価格が損害の大きさになりますから、高価なものを保証しなくてはならない場合は、損害保険会社に請求するということになります。しかし、紛失や盗難という事故は事故の発生そのものを客観的に立証することが困難ですから、警察への事故の届け出を提出することが条件になり、保険金請求時に「盗難・遺失届け出証明書」が必要になります。
しかし、実は利用者の私物を紛失した場合の損害保険の適用については、もう一つ大きな問題があることを管理者は気付いていません。介護事業者が加入している損害保険は、利用者に損害を与えた場合の賠償責任保険ですから、利用者の持ち物の紛失について施設側の過失がなければ保険金は支払われません。
つまり、利用者の持ち物を職員が預かるなどして、施設側の管理責任が発生し、これを施設職員の過失で紛失した場合に賠償責任が発生し、損害保険で填補されるのです。Hさんの補聴器の紛失ついて施設側に管理責任があり過失があったかどうか、保険の適用については問題となるのです。
もし、利用者の入浴時に補聴器をお預かりして、これを職員の落ち度で失くしてしまったのであれば管理責任も過失も明らかですから、保険金支払いの対象になります。しかし、Hさんのケースではどこでどのように紛失したのかが不明なのですから、補聴器の紛失について施設側に管理責任があったかどうかも微妙で、損害保険が適用されるかどうかはわかりません。
■ケアマネジャーとの連携が悪く障害者手帳に気付かなかった
最後に、息子さんからも「障害者手帳について話していたはず」と嫌味を言われてしまいましたが、高齢の利用者は加齢によって障害を負ったのか、若い時から障害を負っていたのかすぐには分からないケースがあります。ケアマネジャーは、65歳を過ぎて要介護認定を受けていれば介護保険制度のサービス対象と思い込んで、障害者サービスの適用の確認が疎かになりがちです。
しかし、聴覚障害・視覚障害・内部障害などのある利用者は、若い時から障害があり障害者手帳を持っている方も少なくありませんから、ケアマネジャーは介護保険制度利用の初期の段階で障害者手帳の有無について確認し、絶えず障害者向けのサービス利用を念頭においてマネジメントしなければなりません。内部障害(内蔵機能障害)者で、ペースメーカー、ストマ、HOT(酸素療法)などの器具を利用していないケースでは、障害の有無の把握も難しいことがあります。またこのような細かい障害者向けサービスは、市町村によって補助などのサービス内容が異なり、その都度福祉課に問い合わせないと分からないことがたくさんありますから注意が必要です。
さらに、本事例のようにサービス提供事業者と居宅介護支援事業者が同じ事業者である場合、利用者側は当然に情報の共有ができているだろうと思い込んでいます。ましてや、同一建物内にありながら情報共有ができていないケースなどは、利用者や家族からの信頼の失墜につながることもありますから、事業者間連携に努めなければなりません。
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20252025.09.14- 施設に侵入したホームレスを家族が発見「防犯体制はどうなっているんだ!」
《検討事例》
ある高級な介護付き有料老人ホームで不審者の侵入事件が発生しました。裏口から入り込んだらしいホームレスが、利用者の家族に発見され警察に通報される騒ぎが起きたのです。この事件を重く見たのは、10年前の開設時からの入居者Mさんの娘でした。Mさんの娘は、大きな病院の精神科の医師として勤務していますが、かなり心配性な方でMさんの転倒や体調変化などでも、すぐに施設に強く対応を求める方なのです。
Mさんの娘は施設長に面会を求め次のように話しました。「神奈川の障害者では19人も犠牲になっている。ホームレスが簡単に侵入できる体制では心配だ、改善を要求する」というのです。施設長は「例のホームレスは職員通用口から侵入したらしくこれは盲点でしたが、当施設は監視カメラ20台を常駐の警備会社の社員が監視していますから、こんなことは2度と起こりませんのでご安心ください」と、真剣に対応してくれません。
翌週Mさんの娘は他の家族二人を伴って、施設長に会いに来て、次のように話しました。「数年前にも不審者が侵入している。その時は精神疾患のある人だったらしい。未だに名札を付けない人が施設内を普通に歩いている。神奈川の障害者施設と同じ事件がここで起こらないと、どうして言えるのか?」と迫りました。ところが、施設長は「例の事件は障害者に対する危険思想による特殊な犯行ですから、老人ホームが狙われることはありません。金も置いていないので強盗も入らないでしょうから、ご安心ください。」と相変わらず重要性の認識がありません。
Mさんの娘さんたちは「私たちがこの施設にどれくらいお金を払っていると思っているの。他と同じでは困るのよ。自力で動けず避難もできないというハンディがあるのよ。本当に入居者を全員守れるの?」と迫ります。施設長は仕方なく“さすまた”を買い、警備会社のインストラクターを呼んで、不審者侵入時に職員が暴漢を撃退する訓練をすることになりました。
■高級であれば防犯体制もレベルが高いはず
かなり高級な介護付き有料老人ホームにホームレスが簡単に侵入してしまったことは、入居者の家族にとってみれば驚くべき重大事件です。豪華で高級な老人ホームであれば、普通の老人ホームの何倍も高度で完璧な警備体制が当たり前だと思っているからです。億ションと呼ばれる超高級マンションでも、過剰なほど完璧なセキュリティを当然に考えています。完璧な防犯体制(システム)は富裕層にとっては大きなステイタスでもあるからです。
ところが、簡単にホームレスに侵入されてしまったことで、高級老人ホームに見合った警備体制でなかったことが露呈してしまいました。しかも、職員通用口から侵入したことは、施設職員の人為的なミスですから施設の警備に対する信頼は台無しで、「盲点」などと言い訳をしている場合ではありません。他の施設でも認知症の利用者が職員通用口から認知症利用者が出て行く事件が、複数報告されています。職員は出入りの度にセンサーをオフにするのが面倒なので、常時オフにしており、ドアが開きっ放しの施設さえあるのです。
このような施設管理者の防犯意識の低さは珍しいことでなく、どうやら面会者の絶えない入院病棟と同じような環境と考えていることが原因のようです。介護福祉施設の防犯体制の脆弱さの原因は、このような管理者の防犯体制に対する意識が希薄であることです。
■障害者施設のように襲われる可能性はどの施設も同じ
施設長が言うように、「例の事件は障害者に対する危険思想による特殊な犯行」で、高齢者施設は標的になる可能性はゼロでしょうか?法務省の「無差別殺傷事犯に関する研究(※)」という報告では、平成12年3月から10年間に裁判が確定し犯人が収監された52件の無差別殺傷事犯について、細かく分析しており、次のような犯行の特徴が報告されています。
犯行動機は「自己の境遇への不満」と「自殺・死刑願望」が多く、犯行の標的では「子供、女性、高齢者など弱者を選ぶ」傾向があり、犯行場所の選定では「人が多く標的を見つけやすく、犯行が容易であり、居住場所に近接している場所」を選ぶ。
明確な動機もなく全く面識のない相手の生命を奪う無差別殺傷事件は、年間5件の割合で発生しており、池田小学校事件は上記の特徴とすべて一致しています。神奈川の障害者施設殺傷事件は特殊な思想によるものでその意味では例外的かもしれませんが、他の無差別殺傷事件の特徴を見る限り、高齢者施設が標的にされる可能性は高いと考えられるのです。
近年『格差拡大社会』と言われ、貧富の差のみでなく人が様々な社会的側面で上下区分され、「自分が不遇なのは社会のせいだ」と考える人が増えました。このような人の中には「生きていても仕方ないから誰かを道連れに死のうと思った」という、自棄的犯罪を起こす人が増えていることも事実です。自棄型犯罪の特徴は、逮捕も極刑も厭わず犯罪の遂行だけが目的であり、標的は誰でも良いという無差別テロ的であり、予防することが極めて難しいのです。
このような犯罪意図を持った人間は、高齢者施設をターゲットにしないでしょうか?「社会の役に立たないのに税金を費やしている」「親に十分な介護ができなかった、こんな豪華な介護施設でのうのう暮らしている奴は許せない」と身勝手な動機で襲撃しないとは限りません。もしかすると、神奈川の病院の高齢者の点滴に毒物が混入された事件も、類似の事件かも知れません。障害者施設よりむしろ高齢者施設の方が危険かもしれないのです。
※2013年3月、法務省法務総合研究所により作成された「研究部報告50無差別殺傷事犯に関する研究」
■入館者管理は今や施設の防犯の常識
「出入者管理」は施設の防犯体制の初歩中の初歩です。Mさんの娘に指摘された「未だに名札を付けない人が施設内を普通に歩いている」と言う事実は、古い施設の管理者の防犯意識の低さの査証なのです。誰だか素性の分からない人が、“普通に”施設内をウロウロしているのでは、不審者が侵入しても気付きようがありません。また、病院の入院病棟のように職員の意識が麻痺して、どんな人が施設内に入り込んでも、職員は全く不審に思わなくなるのが怖いのです。
池田小学校事件で、犯人は侵入した直後に職員と遭遇していますが、職員は不審にも思わず声をかけず、行先も確認していませんでした。見知らぬ人が学校内にいることが当たり前だったからです。現在小学校では、全ての外来者が胸に名札を付けることが徹底されるようになっています。
前述の研究報告では犯行場所として選ぶのは「人が多く標的を見つけやすく、犯行が容易である」とされています。犯行を意図する者が下見にやってきた時、受付のチェックもなく、施設内を自由に歩き回れ職員は誰も不審に思わない、という状況だったらどう思われるでしょうか?
また、古い高齢者施設や福祉施設の特徴的な建物構造では、エントランス付近のパブリックエリア(不特定多数の人が出入りする場所)と、入所者が生活している居室があるプライベートエリアが全く区分されていません。犯行を意図する者からみれば絶好の標的と考えるでしょう。
■さすまた撃退訓練に意味は無い
7月の障害者施設殺傷事件以来、あちこちの社会福祉施設で「刺又(さすまた)を使って暴漢を取り押さえる訓練」が職員によって行われています。かつて、京都市の池田小学校で無差別殺傷事件が発生した時、文科省は「学校への不審者侵入時の危機管理マニュアル」を作成し小学校に配布しました。しかし、このマニュアルでは職員が暴漢を取り押さえるよう要求されていました。3年後に寝屋川小学校で同様の事件が発生して、対抗しようとした職員が暴漢に命を奪われ、その後すぐに大阪府・京都府の小学校には警備員が配置されたのです。
武器を持った暴漢に対して、素手の職員が立ち向かうような無謀な行為を繰り返してはなりません。小学校と異なり高齢者施設は夜間の業務のために夜勤職員が働いていますし、女性職員の割合も大変多いのが現状です。おまけに金銭目的の強盗ではありませんから、職員に発見されても怯んで逃げることは考えにくく、職員を排除して急いで犯行を遂行しようとするでしょう。
犯行の遂行だけが目的でそのためには人の命を何とも思わない犯人に対して、少ない夜勤職員(女性も多い)が対抗しようとして犠牲になれば、利用者は完全に無防備な状態になりさらに犠牲者が増えるでしょう。
無差別殺傷事犯で、犯人は逮捕されることも死刑になることも厭わず、ただ犯行の遂行だけを目的とします。このような犯人に対して有効な対策は「犯行が不可能だ」と思わせることだけなのです。犯人と遭遇した職員が逃げながらポケットの中の警報ブザーを押した時、「不審者が侵入し警察に自動通報されました」と館内放送で自動音声が流れたら、犯人は「犯行が不可能だ」と考えて逃げないでしょうか?
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20252025.09.14- 送迎車から利用者を降ろし忘れたが事故に至らず、真摯に謝罪したが苦情申立
《検討事例》
Sさん(89歳男性)は、軽度の認知症がある比較的自立度の高い(自力歩行)利用者で、独立型デイサービスを週2回利用しています。ある日自宅までお迎えに来た送迎車の3列シートの最後列に乗って、デイサービスに到着しました。最後列はSさん独りで話し相手も無く、デイに到着する頃にはウトウトしていました。しばらくしてふと気が付くと、車内に他の利用者が誰も居らず、運転手は車から降りるところで「ガシャッ」と音がして施錠されてしまいました。Sさんは慌てて運転席に行きクラクションを鳴らしました。驚いて戻って来た運転手が、「申し訳ありません」と謝りながらSさんを送迎車から降ろし、デイルームまで連れて行きました。運転手が所長にSさんを送迎車から降ろし忘れたことを報告すると、所長はSさんに何度も「失礼なことをして本当に申し訳ありません」と謝罪しました。
Sさんはその日帰宅すると、同居する次女に「デイサービスの送迎車に置き去りにされ閉じ込められた。怖くて死ぬところだった。もう二度と乗りたくない」と話しました。次女はすぐにデイサービスに電話を入れて、次のようにクレームを言いました。「今日父がそちらに着いた後、『送迎車に置き去りにされ閉じ込められた』と言っている。どのように責任を取るのか?」と問いただしました。所長は「本当に失礼なことをして申し訳ありません」と謝罪しました。次女は続けて「失礼なことではなく、死ぬほど怖い目に遭わせたのだからこれは立派な事故でしょ。なぜすぐに私に連絡しないの」と言い、すぐに再発防止策を文書で出すように要求しました。デイサービスでは運転手に謝罪の文書を書かせて、これを添付し「今後は注意を怠らないよう指導する」という趣旨の文書を次女に渡しました。次女は再び激怒して「運転手一人の責任じゃないでしょう。デイの職員は利用者が来なくても気づかなかったの?バカにしないでちょうだい。送迎車に置き去りにされて死んだ人もいるのよ、知らないの?」と言い、翌週市に苦情申立をしました。申立書には「父が気付いてクラクションを鳴らさなかったら大事故になっていた。死ぬほど怖い思いをしたのだから慰謝料を請求するつもりだ」と書いてありました。
《解説》
■送迎車から降ろし忘れたことが事故である
この事故の対応が家族から猛烈な反発を招いた原因は、デイサービスがこの事故を家族から指摘されるまで「事故」だと考えていなかったことです。Sさんが置き去りにされたことに対して、その重大性の認識が欠けていることが家族からの大きな反発を招いた要因です。当初所長は、「失礼なことをして申し訳ありません」と発言していますし、家族に謝罪の連絡も入れていません。つまりこの事故が大事故につながるかもしれない施設に責任のある事故であることも、寸前のところで置き去りを免れたSさんがどれほど怖い思いをしたのかも全く認識していないのです。
「一歩間違えば大事故になっていた」という出来事は、利用者や家族にとっては事故であるとの認識を持たなくてはいけません(ヒヤリハットで片づけてしまう施設もある)。施設の過失が大きければ、「寸前で事故を免れて良かった」と言ってくれる家族などはいません。「たまたま運よく助かったがそれは偶然で、このような危険な目に遭わせた施設の責任は重い」と考えるのです。
入所施設でも同様に次のような事故が起きていますが、適切に家族に対応したためトラブルになりませんでした。認知症の利用者が居なくなったことに気付かず、ベランダの階段を3階から1階に降りているところを発見されたのです。居室からベランダに出られないと考えていたのです。この事故の直後施設長は、「お母様をこのような危険な目に遭わせたことについて大きな責任を感じています」と家族に謝罪し、きちんと再発防止策を示したので家族も納得してくれました。
■運転手のミスと考えて施設の責任と考えていない
次に家族からこの出来事を「立派な事故」である指摘され再発防止策の文書を要求されると、全て運転手のミスが原因であるかのような文書を出しました。つまり、デイサービスの業務手順に原因があると考えてはいない訳です。この管理者や組織としての責任感のない対応も、家族の反発を招く原因になっています。その上、運転手に謝罪文を書かせるというのは明らかに行き過ぎで、逆に家族は執拗に施設管理者や組織の責任を追及する姿勢になってしまいました。
入所施設などの事故でも介護職のミスが原因で事故が起きた時、「職員がミスを起こさないよう指導する」というような説明をする施設管理者がいますが、家族から見れば管理者や組織としての責任を回避しているようにしか感じられません。
特に今回の「置き去り事故」では、送迎車の降車チェックは全て運転手任せで、「送迎車から降りてこないSさんにデイの職員が誰一人として気づかなかった」という、施設業務上として恥ずべきミスを犯しているのですから尚更です。事故の原因が職員個人だけの責任であることは稀ですから、何らかの業務上の原因があるという姿勢で再発防止策を示さなければ家族は納得しません。
■同じ業界で過去に起きている重大事故を全く知らない
さて、Sさんの置き去り事故に対するデイサービスの重大性の認識が欠けていたのはなぜでしょう?おそらく、「送迎車から降ろし忘れるというミスが死亡事故につながることがある」という事故情報(平成22年7月24日、千葉県で同様の事故が発生している)を把握していなかったのでしょう。この点も、「送迎車に置き去りにされて死んだ人もいるのよ、知らないの?」と指摘されて、増々責任追及に拍車がかかってしまいました。
自らの業界で過去に起きた重大な事故はきちんと把握し、防止対策を講じるのは当たり前のことです。特にニュースなどで報道され社会でも話題になり、一般消費者でさえ知っているような介護事故の情報を介護事業者が知らないと「事業者としての適性が欠ける」という印象を与えてしまいます。
通常は業界団体や監督官庁が業界固有の重大事故の情報を事業者に知らせて注意を喚起していますが、介護業界ではこのような業界全体の事故情報共有のための仕組がありません。せいぜい、事故が起きた市町村で介護事業者連絡会などを通じて、事業者に注意喚起を促すくらいです。
事故情報を他事業者に隠そうとするのが介護業界の大きな特徴で、このような業界特有の体質が事故防止対策の標準化を阻んでいるとも言えます。同じ法人内でも自施設で起きた事故情報を、他の施設に隠そうとすることがあるので呆れてしまいます。
■酷い恐怖という苦痛は慰謝料の対象である
Sさんは「怖くて死ぬところだった。もう二度と乗りたくない」と言っています。人は極度の恐怖感を味わうと精神的に大きな苦痛を受けて、時にはPTSDなどの症状が出ることもあります。この恐怖感を感じる度合いは、人によって大きく異なります。パニック障害の傾向のある人であれば、送迎車に独り閉じ込められ運転手が去って行く後姿を想像しただけでも、息が苦しくなるかもしれません。
このように、重大事故寸前で事故が回避されたものの、まかり間違えば死んでいたかもしれない、というような事故では、本人には強度の恐怖感が生じますし家族にも大きな不安が生まれます。こうした精神的な苦痛に対しては、家族が納得の行く誠意ある(相手の心情に沿った)対応が必要なことは言うまでもありません。
ところで、ケガやPTSDなど明らかな損害が発生していない事故の場合、精神的な苦痛を被っただけで、次女が言うように慰謝料を請求することはできるのでしょうか?介護事故判例では興味深いものがあります。平成9年に浜松市のデイサービスで行方不明になった認知症の利用者が、1ヶ月後に遺体で発見された事故で、裁判所は行方不明発生から遺体発見までの家族の精神的苦痛に対する慰謝料を認めています(H13. 9.25 静岡地方裁判所浜松支部判決)。
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20252025.09.14- 膝折れのヒヤリハットを翌日にシートを提出したら直前に骨折事故が起きていた
《検討事例》
Mさんは、特別養護老人ホームの利用者で軽度の左半身麻痺がありますが、杖を使わずに自力で歩行することができます。ある時、A職員がMさんの歩行介助をしているとMさんが急に膝折れしましたが、たまたま腰に手を回したところだったので支えることができました。Mさんはそれまで膝折れで転倒しそうになったことは無かったので、A職員は翌日ヒヤリハットシートを書いて主任に提出しました。
ところが、A職員がヒヤリハットシートを提出した翌日の朝、B職員がトイレに行くMさんの歩行介助をしていて、前日の同じように突然膝折をして転倒しました。Mさんは膝を強く床に打ち付けて膝を骨折しただけでなく、同時に腕も骨折してしまいました。B職員はMさんの上腕を両手で掴んで歩行介助を行っており、膝折れした時B職員が反射的に腕を強く引っ張ったために上腕まで骨折させてしまったのです。施設長は、介護職員の歩行介助の方法が間違っていたために起きた事故であると説明して、家族に謝罪しました。
《解説》
■なぜ翌日ヒヤリハットシートを提出したのか?
歩行の介助をする時は、原則は患側の後方に立つのが原則ですから、健側の腕をつかんではいけません。歩行自体に支障を来たすことと、転倒しそうになった時腕を強く引っ張り上げれば、腕も骨折させてしまうからです。もちろん、本事例の利用者が1回の転倒で2カ所骨折した主要な原因は、B職員の介助方法が適切でなかったことです。
しかし、この事故にはもう一つの見落としてはならない原因があります。それは、A職員が前日にMさんの介助歩行中に膝折れのヒヤリハットを経験していながら、他の職員にこれを伝えずに、のんびりと翌日にヒヤリハットシートを提出したことです。
A職員がHさんの膝折れのヒヤリハットに気付いていながら、漫然とヒヤリハットシートに書いて翌日に提出したために、防げる事故が防げなかったのです。その上、何も知らないB職員は腕を掴んでいたので2ヶ所も骨折させてしまいました。それまで膝折れしたことのない利用者が歩行介助中に膝折れして転倒しそうになったのであれば、すぐに緊急カンファレンスを招集しMさんが歩行介助中に膝折れがあることを他の職員に知らせるべきだったのです。
このようなヒヤリハットシートを書くだけのヒヤリハット活動は、役に立たないどころか明らかに弊害になっています。ヒヤリハットなどなかった時代には、介助中に危険なことが起きれば緊急カンファレンスを招集していたはずです。
■介助中のヒヤリハットは対応の優先順位が高い
ヒヤリハットを活用して事故を防ごうとしたら、ヒヤリハットに優先順位を付けることから始めることです。介助中の事故は介護のプロとして防止義務が最も高い事故ですから、介助中のヒヤリハットもその取扱いの優先順位を高くしなければなりません。今すぐにでも膝折れして介助中に事故が起きそうな緊急性がある場合には、すぐに対応しなくてはならないのです。
では優先順位の高いヒヤリハットにはどのように対応したら良いのでしょうか?本事例のように迅速に職員間で情報共有が必要なヒヤリハットであれば、「シートを記入する前に主任に報告する」という決まりにすれば良いのです。これら優先順位の高いヒヤリハットは「ヒヤリハット通報」と呼んで、シートの提出より迅速な情報共有を重視するのです。ボヤボヤしていたら、他の職員が介助中に事故を起こしてしまいます。
ヒヤリハットに緊急サインを付けて区分している施設もあります。具体的にはすぐにヒヤリハットシートを書いて枠外に「緊急対応」と赤字で付記し、ヘルパーステーションのボードに貼ったり、赤い付箋を付けて提出するなどの方法で他のヒヤリハットと区分しているのです。「本日離床時ふらつきあり、車椅子対応にして下さい」と、枠外に赤ペンで書いて床頭台近くの壁に貼っていた職員もいました。
さて、他にも迅速な対応を必要とするヒヤリハットがあります。放置しておくと家族とトラブルになるヒヤリハットです。ヒヤリハットでも「利用者がひどく怖い思いをした」という場合は、管理者からの謝罪が必要になる場合もあります。次のようなヒヤリハットのケースでは、「迅速に現場管理者に口頭で直接報告する」というルールにしておくと良いでしょう。
①利用者がひどく怖い思いをしたヒヤリハット
②一歩間違えば大事故になるようなヒヤリハッ
③低レベルのミスで職員の信頼がゼロになるようなヒヤリハット
④ルール違反など職員のモラルが問われるようなヒヤリハット
⑤虐待の疑いなど家族の誤解を招くようなヒヤリハット
■ヒヤリハットは職員間の情報共有が目的
本事例のように、最近ヒヤリハット活動の弊害が目立ってきました。まず、ヒヤリハットシートの提出枚数を競わせて、シートの枚数=事故防止活動の意識の高さのように職場や職員を評価している施設です。「事故防止」というマイナスをゼロにする業務のマネジメント手法としては、やる気を削ぐだけの最低のマネジメントです。ヒヤリハットシートの提出のみが目的になっている「ヒヤリハットシート書くだけ活動」が定着してしまった施設が多過ぎないでしょうか?
ある特養の主任は、ヒヤリハットシートが提出されても、一向に事故を防げないことに苛立っていました。施設長からは「ヒヤリハットシートをたくさん書かせるように」と言われ、リスクマネジメント委員会ではヒヤリハットシートの枚数で事故防止活動を評価され比較されます。その一方で、提出したヒヤリハットに対して何のフィードバックも無いまま施設長のバインダーに綴じられていますし、委員会だって防止対策の助言をくれる訳でもありません。
もっと大きな問題は、せっかく書いたヒヤリハット情報が、職場内で情報共有がされていないことです。ヒヤリハット情報をシートに書いて提出すればそれで終わりですから、他の職員のヒヤリハット情報を誰も知らないのです。これでも事故が防げる訳がありません。
そこで、H主任はヘルパーステーションにヒヤリハットファイルを備え付けることにしました。職員が書いたヒヤリハットシートをバインダーに綴って、絶えず他の職員がチェックできるようにしたのです。重要なヒヤリハットについては赤い付箋を貼り、緊急性の高いヒヤリハットはその予防策を付記してボードに貼り出す。このようにして、介護職員が職場でヒヤリハット情報の共有ができるようにしたのです。
H主任が重要なヒヤリハットだと判断すると、そのページを開いて赤い大きな付箋を貼っておきます。職員は自然にこれを読むようになり、職員同士の会話の中にも「〇〇さん、何とかしないと転倒して骨折するよね。どうしようか?」など、ヒヤリハット情報から防止対策の話に発展するようになりました。ちょっとした工夫でヒヤリハット情報の共有は可能になるのです。
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20252025.09.14- ヘルパーが車上荒らしにカバンを盗まれ個人情報を漏洩、「なぜ補償が無いのか」と家族
《検討事例》
ヘルパーが利用者の個人情報を盗まれるという事件が発生しました。ヘルパーは、利用者Iさん(73歳女性)の訪問活動が終了した後、ファミリーレストランで食事するため駐車場に車を停めましたが、車の窓ガラスを割られて後部座席に置いた書類カバンを盗まれてしまったのです。ヘルパーはすぐに110番通報し、事業所にも被害の連絡を入れて来ました。
担当のサービス提供責任者はすぐにケアマネジャーに連絡を入れて、Iさんへの対応について相談しました。ケアマネジャーから「Iさんには管理者から謝罪して欲しい」「市にも個人情報漏洩の報告をした方が良い」とアドバイスを受けました。所長がIさんを訪問し事件の経緯を説明し、ていねいに謝罪するとIさんは理解を示してくれました。また、ケアマネジャーには「こちらも被害者であるし車上荒らしでは不可抗力だ」と説明して、市には報告しませんでした。
ところが、翌日Iさんの近所に住んでいる息子さんが所長を訪ねて来て、事件の説明を求めて来たのでていねいに説明し謝罪しました。すると、息子さんは、「こういう事故に対して補償はどうなっているのか?」と言われたので、所長はその場で保険代理店に電話で確認し「個人情報漏洩の賠償保険に加入しているので安心です」と説明しました。
その後警察からは何の連絡もなく、保険会社からも「僅かな補償しかできない」と連絡がありました。息子さんに伝えると、「事故の被害者に補償が無いのはおかしい」と市に苦情申立をしました。市からは個人情報漏洩事故の報告を求められましたが、所長は「うちも被害者なのだから」と答えました。
《解説》
■盗難事故だから「事業者も被害者である」と弁明しているが
本事例の訪問介護事業所の管理者は「事業者も盗難事故の被害者なので仕方がない」と考えています。個人情報の漏洩防止対策は、紛失のような事業者の過失によって起こる漏洩事故だけを防げば良いと勘違いをしているのです。最近では個人情報データの盗難事故のような事業者に過失の無い事故であっても、防止対策は企業の当然の義務であるのにそのことを理解していません。なぜ、介護事業者はこれほど個人情報の漏洩防止に対して意識が低いのでしょうか?
まず第一に、介護事業者が日頃直面している「個人情報の漏洩問題」は、そのほとんどが少し過敏とも思われる利用者や家族のクレームばかりですから、個人情報漏洩はクレームの問題だと捉えているのです。第二に、社会で報道される個人情報漏洩の企業不祥事は、不正アクセスやウイルスによる100万件単位の大量の顧客データを漏洩事故ですから、不正アクセスにも大量の顧客データにも無縁な介護事業者は、その重要性の認識が低くなってしまうのです。
介護事業者は、個人情報の漏洩防止に対する社会的責任をきちんと自覚しなくてはなりません。個人情報の漏洩防止対策は企業の違法性や不法性を回避するために取り組むのではなく、漏洩した顧客情報が犯罪などに不正利用されることを防ぐために、企業の社会的責任として取り組まなくてはならないのです。
10年ほど前に窃盗団によって全国の特養が730件も被害に遭い現金やパソコンを盗まれましたが、パソコン機器の盗難被害の届けは出ているのにパソコン内の個人情報データの漏洩についての被害届は届けが全く出されませんでした。介護事業者が取り扱う高齢者の個人情報は、特殊詐欺など不正利用につながりやすい情報なのですから、なおさら意識を高く持たなければなりません。
■賠償保険に加入していると安心か?
次にこの管理者はIさんの息子さんに対して、「賠償保険に加入しているので安心です」と説明しています。確かに「個人情報漏洩賠償責任保険」という保険が損害保険会社から発売されており、介護事業者が通常加入している介護事業者総合保険などにも特約で付帯されています。
しかし、Iさんの事故の被害をこの賠償保険で補償されるのでしょうか?保険会社から「僅かな補償しか出ない」と言われたのは、「見舞金程度しか支払えない」という意味です。この保険について説明しておきましょう。
まず、この保険の基本契約は損害賠償保険で、企業が個人情報を漏洩してしまった結果、被害者(自分の個人情報を漏洩された顧客)から賠償請求を受けた時に支払う保険です(※1)。では、被害者が漏洩した企業の賠償請求できるのはどのようなケースでしょう。もちろん、漏洩された被害者の個人情報が不正利用されて、明確な損害が発生すれば損害賠償請求は可能です。しかし、単に漏洩されたと判明しただけで、明確な損害が発生しなければどうでしょう?明確な損害が発生しなくても、プライバシーの侵害を理由に賠償請求は可能ですが、認められる請求額は「数千円から数万円」とされています。
すると、Iさんのケースも漏えいした個人情報の不正利用による損害が発生していない以上、保険金は数千円から数万円程度となります(見舞金も支払われますが1件500円限度)。保険会社が「僅かしか支払えない」と言ったのは、このような理由によるのです。
事故が起きると保険の内容も確認しないで、「保険で補償させていただきます」と口にする管理者がいますが、きちんと確認してから回答しないとかえってトラブルを大きくすることになりかねません。
※1:基本契約以外に「対応費用」として、社告・会見費用、事故原因調査費用、コンサルティング費用、使用人の超過勤務手当、見舞金・見舞品購入費用など、漏洩事故に付随して発生する諸々の費用が支払いの対象になります。
■犯罪被害から利用者を守る対策が必要
さて、前述のように個人情報の盗難事故は、個人情報を不正利用することを目的に行われます。特に、特殊詐欺(オレオレ詐欺)や特定商取引(悪質訪問販売)などへの、名簿利用(個人情報の不正利用)が大きな社会問題になっており、これらの個人情報データは不正アクセスなどによる事故で漏えいしたものです。企業が漏えいした個人情報が見えないところで、犯罪行為に利用されているのですから、企業は万全の漏洩防止対策を講じなければならないのです。
しかし、本事例のIさんの場合は特殊詐欺の名簿利用とは異なる、切迫した大きな危険に直結する可能性があることを真っ先に考えなければなりません。なぜなら、73歳で独居の全盲の女性の個人情報が犯罪者の手に直接渡ったのです。車上荒らしで情報を入手した犯罪者は、この無力な高齢者の家に今夜強盗に入ってIさんを殺傷するかもしれません。
訪問介護事業者は保険による補償などと、のんきなことを言っていられる場合ではありません。万難を排してIさんを犯罪被害から守り切らなければなりません。では、どのようにしたらよいでしょうか?実際に起きたケアマネジャーの個人情報盗難のケースでは、次のような対策を講じました。
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1週間近所のホテルに泊まってもらい、その間にセキュリティを設置。1週間後からは警察に身辺警護を依頼(被害が出ていないので実際には動かない)。セキュリティ会社の勧めで1週間巡回警備を依頼。その後はケアマネジャーから電話入れや訪問などの安否確認を行う。
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ケアマネジャーは「しばらく夜も眠れないほど心配だった」と言いましたが、利用者の家族はこの対応に大変満足していました。このように在宅の利用者の個人情報の漏洩は、最悪利用者の生命の危険につながる惧れがあることを肝に銘じて対応して下さい。
■介護事業者の個人情報保護対策は甘い!
最後の大きな問題は、訪問介護事業所の個人情報保護対策が極めて低レベルであることです。居宅サービスは、施設と異なり利用者の個人情報帳票を外部に持ち出さなくてはなりませんから、盗難や紛失の危険をゼロにすることはできません。ですから、安全対策と共に“盗難や紛失などが起きた時の損害軽減策”を講じておかなければならないのですが、漏えい防止のためのルールさえありません。
まず、ヘルパーが利用者の個人情報帳票類を持ち歩く入れ物が、閉まらないバッグが多いことにビックリします。ショッピングバッグのような入れ物に大切な利用者の個人情報帳票類を入れているのですから、バスの中で手を入れられたらすぐに盗まれてしまいます。
次に、盗難や紛失の危険をゼロにはできませんから、事故に遭った場合の損害を軽減するために、極力持ち出す個人情報をできる限り減らすようにします。例えば、「ファイルごと持ち出さない」「必要な部分だけコピーを取って持ち出す」「帳票のコピーで不要な部分はマスキングして消す」などの対策を取っておきます。外部への持出しも含めて「個人情報帳票類取扱いのルール」を作ることが大切です。個人情報帳票類の持出しに関するルールの一部をご紹介しますので、参考にして下さい。
■外部への持ち出しが必要な個人情報帳票類の取扱いルール
◎訪問介護記録やフェイスシートなどを業務の必要で事務所外に持ち出す時は次のルールを守ること。
・「社員以外持出し不可」の帳票は社員以外持ち出せない。
・必要な帳票だけに限定してファイルごと持ち出さない。
・外部に持ち出す時は、必要な帳票のコピーを取って持ち出すものとし原本を持ち出さないこと。
・必要としない情報についてはコピー後にマスキングするなどして、持ち出す情報を必要最小限とする。
・帳票は「中入れ式」クリアファイルに綴じてから、がばんに収納して持ち出すこと。
・ジッパーなどが付いた閉まる書類かばんなどに入れて携行し、ファイルをむき出しで持たないこと。
・車で携行する場合、車を離れる時には必ず携行すること。携行することが困難な場合は、トランクに収納して鍵をかける。
・電車・バスなど公共の乗り物を使用する場合、網棚などに載せず身体から離さずに持ち歩く。
・自転車やバイクを使用する場合、フタのできる収納器具を装着してその中に収納する。
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20252025.09.14- デイの転倒事故で併設の訪問介護ヘルパーを無償派遣、要求がエスカレートする家族
《検討事例》
Yさん(85歳男性)は1年前に脳梗塞を患い、軽度の左半身マヒで要介護2となり、週2回デイサービスを利用しています。日常生活はほぼ自立で認知症もありませんが、自立心の強く人の手を借りようとしません。ある日、デイサービスのソファから立ち上がろうとして、前方に転倒して両手と両ひざを床に着きました。職員がすぐに気付いて抱き起しナースを呼びましたが、Yさんは「大したことはない」と言いながらも腰を押さえています。
同居の娘さんに連絡を入れ整形外科を受診すると、Yさんは第四腰椎圧迫骨折で治癒見込2ヶ月と診断されました。勤務先から駆けつけて来た娘さんに、医師が「1週間は安静が必要」と話しました。連絡を受けて病院に急行してきた事業所の社長は娘さんに「職員が見守っていながら申し訳ありません。困ることがあったらお手伝いしますから何でも言って下さい」と謝罪しました。すると娘さんが「医者が1週間は安静が必要と言っている。父のトイレ介助ができない」と言うので、社長は「明日からうちのヘルパーがお手伝いをさせてもらう」と、事業所の訪問介護のヘルパーを派遣することを約束しました。
事故後1週間事業所では、毎日6時間のヘルパー派遣を行い、2週間後からはデイサービスを週5回に増やし2日のヘルパー派遣を続けました。また、「週に5日も母が家で独りになり心配だ」という理由で、母親(要介護認定なし)のデイサービス利用を要求され、事業者はこれも受け入れてしまいました。2ヶ月後に骨折は治癒しましたが、Yさんの介助が必要との理由から、サービスの継続を要求されました。《解説》
■事故後の過失判断を慎重に行う
本事例のトラブルの発端は、事故の過失を軽々に判断して全面賠償を約束してしまったところにあります。ではこの事故でデイサービスに賠償責任が発生するのか検証してみましょう。
まず、この転倒事故の過失について疑問の余地があります。立ち上がりや歩行が自立している利用者に対して援助の義務はありませんし、いきなり椅子から前に転落されれば防ぎようがありません。次に転倒と骨折の因果関係にも疑問があります。ソファから前向きに転落して両手両ひざを床に着いた時、腰椎圧迫骨折が起こるのでしょうか?起こらないと断言はできませんが、可能性は低いと考えられます。なぜなら、通常腰椎圧迫骨折は尻もちなど腰椎が上下に圧迫されて起きることが多いからです。せめて、医師に転倒と骨折の因果関係について意見を聞いておくべきでした。
その上、入所施設と異なりデイサービスでは、居宅で起きた転倒事故が原因という可能性も否定できませんから、厳密な調査を行えばこのYさんの転倒事故に対するデイサービスの損害賠償責任には、大いに疑問の余地があるということです。
「事故原因が明らかに施設の過失」という場合を除き、何の調査もせずに事故直後に過失を認めると、後のトラブルを引き起こすリスクが高くなります。通常、事故直後の段階では「現段階では事故原因や施設の法的責任などが判明しておりませんので、早急に調査し正式なご説明をさせていただきます」と過失の判断は避けなければなりません。
また、誠意のある謝罪も大切ですが、「困ることがあったらお手伝いしますから何でも言って下さい」というのは明らかに行き過ぎです。この軽率な補償約束の言葉が、娘さんの要求をエスカレートさせた大きな要因です。事故の損害に対する補償は、事故の結果生じた損害を確実に補償すれば足りるのですから。
■事故と因果関係の無い損害も補償してしまった
不当な要求をするつもりがない常識をわきまえた被害者でも、「要求したら何でもしてくれる」ということになれば、自然に要求がエスカレートします。この事例で、事故とは関係の無い奥様のデイサービス利用を認めたことは決定的な失敗で、こうなれば要求は際限がなくなります。Yさんの娘さんの要求をエスカレートさせたのは、介護事業者の誤った対応なのです。
多くの介護事故で事業者は誠意ある補償対応をしようとしますが、「誠意がある」ということを「被害者が困っていることを直接援助する」と勘違いをしてトラブルを招くのです。事故と直接因果関係のない被害者や家族の生活全般の困りごと全てを援助してしまえば、事故前よりも手厚い援助が受けられるようになるのですから、当然いつまでも甘えたいと考えます。Yさんの娘さんは事故が起こったことによって、以前よりも介護負担が減り楽ができるようになったのですから、元の生活には戻りたくありません。介護事故の被害者の要求をエスカレートさせているのは、事業者の誤った対応だということを肝に銘じなければなりません。
■市から事故対応の不適切な点を指摘された
さて、ここからは苦情申立によって市から指摘された、事業者の不適切な対応について考えてみましょう。まず「デイの過失で起こした事故は第三者行為に当たり介護保険給付対象外」と指摘されました。もう少し詳しくご説明しましょう。まず「加害者が存在する賠償事故によって生じた被害者の損害の補償では、介護保険給付を受けられない」という原則があることを知っておいて下さい。例えば、交通事故で受けた損害によって被害者が医療保険(健康保険)を使った場合、医療保険側は給付した額(自己負担以外)を加害者か自動車保険会社に求償するのです。この規定は公的保険制度によって、加害者が賠償金の支払いを免れるという不公正を是正するためのものです。
同じように、本来加害者が負担すべき賠償損害を介護サービスで補償した場合、介護保険制度から9割給付され、加害者は9割分賠償を免れてしまうのです。このような不公正を是正するためには、加害者が介護保険給付を使わず全額金銭で支払うべきだという原則があるのです。ですから、この事故では加害者が損害賠償として介護サービス費用を全額負担しなければならなかったのです。
次に、「利用者の自己負担分の免除は条例(東京都)に違反する」と指摘されました。自己負担分も最終的には加害者である事業所が負担するのですから、もらわなくても同じだと考えたのでしょう。しかし、介護保険給付によるサービスを提供しながら、自己負担分を免除する行為は条例に違反するのです(別表)。このように、介護保険制度の指定事業者は様々な面で、法的な制約を受けていますので、事故後の補償についてもきちんと法に則って対応することが求められるのです。
別表《東京都の条例》
「東京都指定居宅サービス等の事業の人員、設備及び運営に関する条例」の「施行要領(24福保高介第1882号)第1-2-①-イには、「利用者が負担すべき額の支払いを適性に受けなかった時」は「指定の取消しや一部効力停止があり得る」とあります。つまり、介護保険制度の利用者の公平性の確保の問題から、一部の利用者の自己負担額を事業者自ら免除することを禁止しています。
■保険会社からも保険金の支払いの問題点を指摘された
最後に、事故の補償として事業所が負担した介護サービスの費用が、保険会社から全額支払えないと言われました。介護保険制度からは全額事業所負担にするように求められ、保険会社から保険金で全額支払われないと言われ、事業所は大きな損害になってしまいました。
では、なぜ保険会社は損害の補償にかかった費用を全額支払ってくれないのでしょうか?1つ目の理由は、事故と直接因果関係のない損害に対しても事業者が負担してしまっていることが挙げられます。2つ目の理由は、自らの過失で起こした事故でサービス提供が増えて、不当に利益を得てしまうからです。
Yさんの事故では、毎日6時間の訪問介護サービスやデイサービスの利用増加など、事故によって介護サービスが新たに発生しました。この新たに発生したサービス費用を事業所が全額保険会社に請求すると、事業者は自らの過失で起こした事故によって利益を得ることになります。保険会社は保険契約者が保険金の請求により、不当な利得を得ることを禁じられていますから全額支払うことはできないのです。
以前も指摘しましたが、介護事業者は自らの過失で事故を起こし利用者に介護サービスが新たに発生すると、いとも簡単に自社でサービスを提供してしまいます。しかし、この不当利得禁止を前提にすれば、事故によって新たに生じたサービスは他事業者にサービス提供を依頼し、その費用を事故を起こした事業者が負担すべきなのです。当然、このYさんの事故で保険会社は、事業所の利益に該当する部分は除いた金額を保険金として支払うことになります。
- 07/09
20252025.07.09- 救急搬送先の病院で「なぜ施設長が病院に来ていないのか」と家族が激怒
《検討事例》
Jさん(男性・95歳)は要介護5で自発動作が少ないほとんど寝たきりの利用者です。入浴介助は機械浴を使用して介護職員は二人一組で介助しています。ある時、利用者の身体をストレッチャーに移乗しようとして事故が発生しました。二人の職員は利用者の片側に立ち、利用者の身体の下に二人の手を入れて持ち上げ、「いちにのさん」と言ってストレッチャーに載せようとしました。ところが、二人のタイミングが合わずバランスを崩して利用者は浴室の床に転落してしまったのです。
Jさんは転落する時に身体が反転し、左側頭部から左顔面上部を床に強打していました。Jさんは意識不明となり救急搬送され、救急車には事故に関わった介護職員が同乗しました。Jさんは生命に危険がある重篤な容態で、緊急手術となりました。手術中に駆けつけて来たJさんの息子さんに対して、搬送に同行した職員が、「本当に申し訳ありません、私達の不注意で事故を起こしてしまいました」と謝罪しました。
「どうしてこんなことになったんだ」と尋ねる息子さんに対して、職員が「ストレッチャーに載せる時、“いちにのさん”で身体を持ち上げたら息が合わずに落としてしまったんです」と説明しました。すると息子さんは「ふさげるな! “いちにのさん”で持ち上げるなんて危ないに決まってるだろ!」と激高し、「こんなひどい事故起こしておいて施設長はどうしたんだ、来てないじゃないか」と施設長が来ていないことを問題にしてきました。
すぐに施設長が駆けつけて来て何度も謝罪しましたが、息子さんの怒りは収まりません。その後治療の甲斐も無くJさんは亡くなり、葬儀に出席した施設長に対して「乱暴な介護をさせていた施設長の責任が重大だ、どのように責任をとるのか?」と、施設長に迫りました。Jさんの葬儀の後に、損害賠償金の支払いを申し出る施設長に対して、息子さんは「こんなひどい事故で父が亡くなり本当に悔しい。損害賠償だけでは承服できない」と話し、事故を起こした職員と施設長を業務上過失致死で警察に告発すると言われました。《解説》
■搬送先での事故状況の説明などの対応は相談員が適役
このトラブルの最も大きな要因は、事故直後の家族に対する介護職員の説明が不適切だったことです。救急搬送されるような重大な事故で病院に駆けつけて来た家族は、ショックと不安でとても神経質になっています。このような場面での家族の対応は、極めて重要で家族の感情に配慮した適切な対応が必要になります。ところが、本事例では介護職員が救急搬送に同行してしまい、家族に配慮の足りない説明をしたことから、怒りを買ってしまいました。
では、救急搬送のような重大な事故では、誰が救急搬送に同行し、誰が家族への説明を行えば良いのでしょうか?基本的には、救急搬送に同行するのは看護師の役割です。なぜなら、救急搬送された病院側では緊急処置や手術などで手一杯になり、家族へ配慮している余裕がありません。同行した看護師が病院から情報を引き出し、家族に分かりやすく説明するなどの配慮をすることで家族も安心します。
また、搬送先の病院での事故に関する説明は、相談員が適役です。家族の感情に対する高度な配慮が求められる場面ですから、家族の性格などの家族情報を習熟し家族対応に慣れている相談員でなければ適切な説明は難しいでしょう。当然、平常時から相談員もオンコール当番制にして、緊急時に出勤ができるような態勢にしておかなければなりません。
ちなみに「看護師が救急車に同乗する」と決めて、家族対応も看護師任せにしている施設もありますが、看護師が事故に関する家族説明が適切にできるかどうかは疑問があります。また、事故に関わった職員が救急搬送に同行すると、利用者が病院で死亡した場合に職員が精神的ショックを受けて、後に精神に悪影響が出る場合があるので配慮が必要です。■被害者意識が強くなる事故では管理者が急行すべき
さて、次のトラブル要因は家族がこだわった「施設長が病院に来ていない」ことです。本事例のような家族の被害者意識が極めて高くなるような事故では、施設の管理者が病院に急行していないことを家族からきつく咎められます。家族の到着に間に合わず「現在施設長も急いでこちらに向かっています」と説明できれば良いのですが、施設長が病院に急行するよう手配もされていないというのでは、家族は施設の誠意が著しく足りないと感じ施設管理者の責任感にも大きな疑問を持ちます。
では、どのような事故でどのように施設長の病院に急行すれば良いのでしょうか?どんなルールを作っておけば、施設長が病院で家族に誠意ある対応をすることができるでしょうか?まず、家族の被害者意識が極めて高くなる事故とは、どんな事故なのかを決めておかなければなりません。Jさんの息子さんが「こんなひどい事故を起こしておいて」と言った、“ひどい事故”のことです。
家族の被害者意識が高くなる事故の条件は次の2つです。
①職員のミスの度合いが重く施設の過失が大きい事故
②被害者の容態が重篤な事故(重大事故)
ですから、これら2つの条件に当てはまるような事故が起きた時は、救急搬送先が決まった時点で、施設長の携帯電話に連絡を入れ救急搬送先に急行してもらうというルールにしておけばよいのです。施設長は施設管理者の責任として、事故の謝罪をていねいに行います。本事例でも、事故直後に施設長が病院に急行し、「このような大きなミスでお父様に重症を負わせたことについて、管理者としての大きな責任を感じています。大変申し訳ありません。お詫び申し上げます」と息子さんにていねいに謝罪していたら、家族の心情はどれくらい変わっていたでしょうか?■二人でどのように介助すれば安全かを検討する
息子さんが「乱暴な介護」とまで指摘した、移乗の介助方法について考えてみましょう。本事例では、二人で介助することが安全な方法だとして、機械浴の移乗介助は二人で行うようにマニュアル化されていました。ところが、「二人で介助する」「二人介助で行う」というマニュアルの文章は良く見かけますが、どのように二人で介助すれば良いかが具体的に書かれていないのです。「利用者の脇に職員が二人並んで、いちにのさんで4本の手で利用者を持ち上げる」という介助方法は、息子さんの目にもひどく乱暴で危険な介助方法であると映りました。
職員が二人で介助すると本当に安全に介助できるのでしょうか?ただ、二人で介助すれば安全だというのは、介護施設の職員の思い込みで、逆に危険になるケースも多いのです。なぜなら、具体的な介助方法を検討せずに二人で介助すれば、連携がうまく取れず一人介助よりリスクが高くなるからです。本当に二人で安全に介助するためには、「一人が主体的な介助動作を行い、もう一人がこれを適切に補助する」という主従の連携でやらなければなりません。「二人で息を合わせて持ち上げる」では、息が合わなければ落としますし、物を持ち上げているようにしか見えません。
介助方法は安全な介助方法であると同時に、安全でていねいな介助方法に見えることも大切なことです。時々、「介助が乱暴」と家族からクレームがあり調べてみると、安全に手際よくやっているのに介助の仕方が速いので乱暴に見えるというケースもあります。ですから、介助が難しいような場合は、慎重に安全な介助方法を検討した上で、家族に介助方法を見せて了解を取ることも考えた方が良いでしょう。
ある重度で寝たきりの利用者は、骨が弱っていて移乗時の骨折リスクが高いことから、ベッドからリクライニング車椅子への移乗介助で、シート上に利用者を乗せて四隅を職員が持って身体を移す方法を家族に見せて了解を取りました。家族はテレビなどで病院に搬送されたストレッチャー上のケガ人を、ベッドに移す時シーツの四隅を持ち上げているのを見ていて、安全な方法だと考えたのでしょう。リスクの高い介助の場面では介助方法も家族に説明することが、トラブルの防止に役立つのです。■過失の大きい事故では職員や管理者が刑事告発されることがある
Jさんの息子さんは、「職員と施設長を業務上過失致死で警察に告発する」と言いました。職員と施設長個人の刑事責任を問うということなのですが、まず事故が起きた時の加害者の責任について整理しておきましょう。まず、最も多いケースは事業者(法人)が債務不履行で賠償責任を問われるケースです。通常事故が起きて、民事裁判で追及されるのが、入所契約上の安全配慮義務違反としての賠償責任です。法人はそのために賠償保険に加入していますので、通常保険金が支払われます。また、事故に関わった職員や管理者・経営者が個人で賠償責任が問われるケースも、無い訳ではありません。2008年9月には、訪問介護のヘルパーが誤えん死亡事故の過失で個人の賠償責任を認定する判決が下りています(名古屋地裁一宮支部)。
では、事故に関わった職員や管理者が業務上過失致死で刑事責任を問われることはあるのでしょうか?過失が大きな事故では事故を起こした職員や管理者が刑事責任を問われることは珍しいことではありません。2001年には老健で入浴中に利用者が溺死した事故で、パートのヘルパー職員が業務上過失致死で書類送検されています。
介護事故で刑事責任を問われやすいのは、看護師や介護福祉士などの国家資格を持っている職員です。国家資格者はその職務遂行において極めて高い注意義務を要求されていますので、法令違反や初歩的なミスで重大事故を起こすと、比較的容易に刑事責任を問われます。刑事告発は、警察自らが捜査を行い刑事告訴を行うことができますが、被害者などが捜査と刑事罰を要求して警察や検察庁に刑事告発をすることも可能です。
本事例では「極めて危険な介助方法で死亡事故を起こした」として、Jさんの息子さんが警察や検察庁に刑事告発することは容易なことなのです。遺族が刑事告発すればこれが受理されて捜査が行われ、業務上過失致死で書類送検される可能性は高いでしょう。