降ろし忘れ事故の重大性に鈍感な管理者
《検討事例》
Sさん(89歳男性)は、軽度の認知症がある比較的自立度の高い(自力歩行)利用者で、独立型デイサービスを週2回利用しています。ある日自宅までお迎えに来た送迎車の3列シートの最後列に乗って、デイサービスに到着しました。最後列はSさん独りで話し相手も無く、デイに到着する頃にはウトウトしていました。しばらくしてふと気が付くと、車内に他の利用者が誰も居らず、運転手は車から降りるところで「ガシャッ」と音がして施錠されてしまいました。Sさんは慌てて運転席に行きクラクションを鳴らしました。驚いて戻って来た運転手が、「申し訳ありません」と謝りながらSさんを送迎車から降ろし、デイルームまで連れて行きました。運転手が所長にSさんを送迎車から降ろし忘れたことを報告すると、所長はSさんに何度も「失礼なことをして本当に申し訳ありません」と謝罪しました。
Sさんはその日帰宅すると、同居する次女に「デイサービスの送迎車に置き去りにされ閉じ込められた。怖くて死ぬところだった。もう二度と乗りたくない」と話しました。次女はすぐにデイサービスに電話を入れて、次のようにクレームを言いました。「今日父がそちらに着いた後、『送迎車に置き去りにされ閉じ込められた』と言っている。どのように責任を取るのか?」と問いただしました。所長は「本当に失礼なことをして申し訳ありません」と謝罪しました。次女は続けて「失礼なことではなく、死ぬほど怖い目に遭わせたのだからこれは立派な事故でしょ。なぜすぐに私に連絡しないの」と言い、すぐに再発防止策を文書で出すように要求しました。デイサービスでは運転手に謝罪の文書を書かせて、これを添付し「今後は注意を怠らないよう指導する」という趣旨の文書を次女に渡しました。次女は再び激怒して「運転手一人の責任じゃないでしょう。デイの職員は利用者が来なくても気づかなかったの?バカにしないでちょうだい。送迎車に置き去りにされて死んだ人もいるのよ、知らないの?」と言い、翌週市に苦情申立をしました。申立書には「父が気付いてクラクションを鳴らさなかったら大事故になっていた。死ぬほど怖い思いをしたのだから慰謝料を請求するつもりだ」と書いてありました。
《解説》
■送迎車から降ろし忘れたことが事故である
この事故の対応が家族から猛烈な反発を招いた原因は、デイサービスがこの事故を家族から指摘されるまで「事故」だと考えていなかったことです。Sさんが置き去りにされたことに対して、その重大性の認識が欠けていることが家族からの大きな反発を招いた要因です。当初所長は、「失礼なことをして申し訳ありません」と発言していますし、家族に謝罪の連絡も入れていません。つまりこの事故が大事故につながるかもしれない施設に責任のある事故であることも、寸前のところで置き去りを免れたSさんがどれほど怖い思いをしたのかも全く認識していないのです。
「一歩間違えば大事故になっていた」という出来事は、利用者や家族にとっては事故であるとの認識を持たなくてはいけません(ヒヤリハットで片づけてしまう施設もある)。施設の過失が大きければ、「寸前で事故を免れて良かった」と言ってくれる家族などはいません。「たまたま運よく助かったがそれは偶然で、このような危険な目に遭わせた施設の責任は重い」と考えるのです。
入所施設でも同様に次のような事故が起きていますが、適切に家族に対応したためトラブルになりませんでした。認知症の利用者が居なくなったことに気付かず、ベランダの階段を3階から1階に降りているところを発見されたのです。居室からベランダに出られないと考えていたのです。この事故の直後施設長は、「お母様をこのような危険な目に遭わせたことについて大きな責任を感じています」と家族に謝罪し、きちんと再発防止策を示したので家族も納得してくれました。
■運転手のミスと考えて施設の責任と考えていない
次に家族からこの出来事を「立派な事故」である指摘され再発防止策の文書を要求されると、全て運転手のミスが原因であるかのような文書を出しました。つまり、デイサービスの業務手順に原因があると考えてはいない訳です。この管理者や組織としての責任感のない対応も、家族の反発を招く原因になっています。その上、運転手に謝罪文を書かせるというのは明らかに行き過ぎで、逆に家族は執拗に施設管理者や組織の責任を追及する姿勢になってしまいました。
入所施設などの事故でも介護職のミスが原因で事故が起きた時、「職員がミスを起こさないよう指導する」というような説明をする施設管理者がいますが、家族から見れば管理者や組織としての責任を回避しているようにしか感じられません。
特に今回の「置き去り事故」では、送迎車の降車チェックは全て運転手任せで、「送迎車から降りてこないSさんにデイの職員が誰一人として気づかなかった」という、施設業務上として恥ずべきミスを犯しているのですから尚更です。事故の原因が職員個人だけの責任であることは稀ですから、何らかの業務上の原因があるという姿勢で再発防止策を示さなければ家族は納得しません。
■同じ業界で過去に起きている重大事故を全く知らない
さて、Sさんの置き去り事故に対するデイサービスの重大性の認識が欠けていたのはなぜでしょう?おそらく、「送迎車から降ろし忘れるというミスが死亡事故につながることがある」という事故情報(平成22年7月24日、千葉県で同様の事故が発生している)を把握していなかったのでしょう。この点も、「送迎車に置き去りにされて死んだ人もいるのよ、知らないの?」と指摘されて、増々責任追及に拍車がかかってしまいました。
自らの業界で過去に起きた重大な事故はきちんと把握し、防止対策を講じるのは当たり前のことです。特にニュースなどで報道され社会でも話題になり、一般消費者でさえ知っているような介護事故の情報を介護事業者が知らないと「事業者としての適性が欠ける」という印象を与えてしまいます。
通常は業界団体や監督官庁が業界固有の重大事故の情報を事業者に知らせて注意を喚起していますが、介護業界ではこのような業界全体の事故情報共有のための仕組がありません。せいぜい、事故が起きた市町村で介護事業者連絡会などを通じて、事業者に注意喚起を促すくらいです。
事故情報を他事業者に隠そうとするのが介護業界の大きな特徴で、このような業界特有の体質が事故防止対策の標準化を阻んでいるとも言えます。同じ法人内でも自施設で起きた事故情報を、他の施設に隠そうとすることがあるので呆れてしまいます。
■酷い恐怖という苦痛は慰謝料の対象である
Sさんは「怖くて死ぬところだった。もう二度と乗りたくない」と言っています。人は極度の恐怖感を味わうと精神的に大きな苦痛を受けて、時にはPTSDなどの症状が出ることもあります。この恐怖感を感じる度合いは、人によって大きく異なります。パニック障害の傾向のある人であれば、送迎車に独り閉じ込められ運転手が去って行く後姿を想像しただけでも、息が苦しくなるかもしれません。
このように、重大事故寸前で事故が回避されたものの、まかり間違えば死んでいたかもしれない、というような事故では、本人には強度の恐怖感が生じますし家族にも大きな不安が生まれます。こうした精神的な苦痛に対しては、家族が納得の行く誠意ある(相手の心情に沿った)対応が必要なことは言うまでもありません。
ところで、ケガやPTSDなど明らかな損害が発生していない事故の場合、精神的な苦痛を被っただけで、次女が言うように慰謝料を請求することはできるのでしょうか?介護事故判例では興味深いものがあります。平成9年に浜松市のデイサービスで行方不明になった認知症の利用者が、1ヶ月後に遺体で発見された事故で、裁判所は行方不明発生から遺体発見までの家族の精神的苦痛に対する慰謝料を認めています(H13. 9.25 静岡地方裁判所浜松支部判決)。