何を調査して報告書を作れば良いか?
《検討事例》
Mさん(78歳女性・要介護4)は軽度の認知症がある、特別養護老人ホームの入所者です。構音障害と強い右麻痺があり食事は全介助ですが、嚥下機能の障害はなく食事も普通食です。食事中に時々むせることがありますが、誤嚥のリスクはありません。
ある日夕食時に介護職員が食事介助をしていると、急にむせ始めました。介護職員は食事介助を止めて軽く背を叩いてむせが収まるのを待ちましたが、急に「ヒー」という高い呼吸音が聞こえ、むせが止まりました。介護職員は、誤嚥と判断してMさんを前かがみにしてタッピングを行いました。しばらくタッピングを続けましたが、チアノーゼに気づいて、看護師を呼び吸引を施行しました。少量の食べ物が吸引されましたが、呼吸は回復しません。看護師は吸引を諦め救急車を要請し、心肺蘇生術を施し続けましたが、救急搬送後に病院で死亡が確認されました。
医師である息子さんが、誤嚥事故の調査報告書を出して欲しいと言ってきたので、施設では食事介助の記録や誤嚥発生時の対応記録を付して、次のような内容で報告しました。
・Mさんは、嚥下機能に障害は無く食事形態も普通食である。
・過去に誤嚥の兆候が見られたことも無く、誤嚥の危険が高い利用者とは言えない。
・よってMさんは誤嚥防止の特別な配慮は必要なく、誤嚥事故は予測不可能であった。
息子さんは、「誤嚥リスクの評価や誤嚥の原因などの検証が不十分であり、誤嚥発生時の対応にも問題がある」と言ってきました。
■Mさんの誤嚥リスクの評価は正しいか?
施設側では、「嚥下機能障害が無く普通食で誤嚥の兆候は無かったので、Mさんは誤嚥のリスクが高かったとは言えない」と報告しましたが、息子さんは納得しませんでした。施設が主張するように、嚥下機能に障害が無ければ、誤嚥のリスクは低いのでしょうか?施設の誤嚥リスクの評価についてチェックしてみましょう。
以前は、「誤嚥事故の原因は嚥下機能障害である」と言われていましたが、最近では「誤嚥事故には嚥下機能だけでなく、咀嚼や食塊形成など含めた摂食嚥下機能全てが関わっている」と言われるようになりました。ですから、Mさんの誤嚥リスクを評価するには、摂食嚥下機能全般に支障がないかを調べなければなりませんでした。
例えば、Mさんには構音障害と強い右麻痺がありますから、口腔内の働きに障害がある可能性があり、咀嚼→食塊形成→食べ物の送り込みがうまく行かないかもしれません。また、服薬によって発生する摂食嚥下機能低下など誤嚥リスクは大変多彩です。抗精神病薬や抗認知症薬が摂食嚥下機能に悪影響を与えることは広く知られていますが、その他にも誤嚥リスクを高める服薬は多いので注意が必要です。
例えば、利尿剤、三環系抗うつ薬、交感神経遮断薬、抗ヒスタミン剤、抗精神病薬などは、口腔内を乾燥させる副作用があり、咀嚼や食塊形成、咽頭への送り込みなど口腔機能が低下します。また、パーキンソン病薬は不随意運動により食塊形成やえん下機能に悪影響を与えることがありますし、抗コリン剤、三環系抗うつ薬、Ca拮抗薬は、咽頭筋の働きが低下し、えん下反射に悪影響を与えます。
当然、誤嚥リスクを正しく評価した上で、これらに見合った食材や食事形態の選択をしなくてはなりませんから、「嚥下機能に障害がないので普通食」という調査報告では、誤嚥リスクの評価は不十分と見られてしまいます。
■誤嚥事故の調査報告書はどのように作るべきか?
次に、摂食嚥下機能の評価を含めた、誤嚥事故の原因の調査項目を検証してみましょう。誤嚥事故など事故の調査報告書を要求された場合は、事故原因を調査し過失がなかったかどうかを検証して報告しなければなりません。ここでは、誤嚥事故が発生した時の過失のチェック項目をご紹介します。
・摂食えん下機能を正しく評価していたか?
入所時にSTによる改訂水飲みテストなどを実施していれば、その記録を提出します。
・服薬によるえん下機能の影響をチェックしていたか?
一般的な服薬による誤嚥リスクについて検証します。薬剤を処方した医師による意見が添付されていると効果的です。
・摂食えん下機能に合った食材や食事形態を選択していたか?
現在ではソフト食・軟采食などの食事形態が主流ですから、キザミ・ミジンなど不適切な食事形態がないかチェックしましょう。
・認知症固有の誤嚥の危険に対して配慮をしていたか?
認知機能の低下によって危険な食べ方(早食い・詰め込み・丸呑み)をする利用者に対しては、自力摂取でも見守りが必要になります。
・誤嚥を防ぐ正しい食事姿勢への配慮をしていたか?
食事に適した前かがみ姿勢で食事ができるように配慮することが大切です。特に車椅子でのズッコケ座りは食べ物が気管に混入するので危険です。
・食前に口腔機能を円滑にするための配慮をしていたか?
覚醒を確認し水分摂取で口腔内を潤してから、食事介助を始めなければなりません。
・食事を急がせないよう時間的余裕の配慮をしていたか?
口腔内の食べ物を飲み込んでから次の一口を口元に運ばなければなりません。
・嘔吐物を誤嚥しないよう体調不良に配慮していたか?
食事中の嘔吐は嘔吐物の誤嚥につながりますから、体調チェックを欠かさずに。
このように、誤嚥を防止するためのチェック項目は実に多彩であり、誤嚥事故発生時にはこれらの防止対策が徹底できていたかを調査しなければなりません。
■誤嚥事故発生時の対処ミスがなかったか?
誤嚥事故は、その発生を防止する対策も重要ですが、誤嚥発生時の対処にミスがなかったかどうかは、事故後の争いでは大きな問題なります。誤嚥死亡事故の裁判では、誤嚥発生の過失と共に発生時の対処ミスが過失として大きな争点になっているからです。誤嚥発生時の対処の過失について、参考になる判例があります。
平成12年2月23日横浜地方裁判所川崎支部の誤嚥死亡事故訴訟の判決は次のような内容でした。「利用者は飲み込みが悪かったのであるから、食事後の異変を誤嚥と気付き対処すべきところ、15分後に救急車を呼ぶまで吸引などの救命措置をしなかった点に適切な処置を怠った過失が認められる。」と。この判決は「救命処置を行わなかったことが過失である」と解釈する人もいますが、救急車の要請が遅れたことも大きな過失です。人は呼吸が停止すると15分~20分程度で絶命します。救急車は到着に最低でも6分(都市部)を要しますから、15分で要請すれば救急車の到着は呼吸停止から21分経過しており、間違いなく絶命しています。つまり、救急車の要請時間は誤嚥発生時の対応の最も大きなポイントなのです。
本事例の誤嚥事故の対応から、救急車を要請した時間を検証してみましょう。誤嚥発生からタッピング施行まで2分かかり、タッピングを3分間施行したとします。次に吸引の要請から吸引開始までに3分、吸引の施行に3分かかり、119番通報したとすれば、救急車の要請までに12分を要します。救急車が6分後に到着すれば、呼吸停止から救急車の到着まで16分経過していますから絶命しています。救命を最優先すれば「誤嚥の発生に気付いたら看護師に吸引の要請を行い、看護師が吸引を開始するまでタッピングやハイムリックを施行する。看護師は吸引を開始する時に救急車の要請を行い救急車到着まで吸引を施行する」という手順になります。