認知症が無い利用者の暴力を理由にサービス提供拒否したが、息子に反撃された

クレーム・トラブル対策

いい加減な記録では正当性のある主張もできない

《検討事例》
独居で生活保護を受けているハヤシさんは、2ヶ月前からデイサービスを利用し始めました。脳梗塞による軽い半身麻痺があるものの、認知症は無い要介護1の軽度の利用者で日常生活に大きな支障はありません。利用前にケアマネジャーから「性格が少し粗っぽい」との情報はありましたが、実際には暴言を吐いたり暴力的な態度を取るなど目に余るものがあります。気に入らないことがあると、他の利用者に向かって怒鳴り散らしたり、時には拳を振り上げて威嚇する態度を取るのです。デイサービスでは、ケアマネジャーにハヤシさんの迷惑行為を伝えて、「家族から話してもらえないか」と相談しましたが、「息子さんも定職に就いておらず父親は言うことを聞かないだろう」と断られました。
ある日、ヤハシさんは他の男性利用者マエダさんに腹を立てて、「お前ぶっ殺してやるから覚悟しておけ」と言って、シャツの襟を左手でつかんで右手の握りこぶしをマエダさんの左頬に押し付けました。
 翌日マエダさんの家族がハヤシさんの暴言と暴力を理由にデイを止めると言ってきたため、デイサービスではハヤシさんに「暴言と暴力が他の利用者の迷惑になるので利用をお断りする」と連絡しました。ハヤシさんは電話口で「福祉サービスはそんなに簡単に止められないだろう、なめるなよ」と反論しました。そしてハヤシさんは息子さんと二人でデイサービスにやって来て、息子さんが「父の暴言と暴力の証拠を見せろ」と詰め寄りました。デイサービスでは当日の記録を見せて説明しましたが、記録には「H様がマエダ様にひどい暴言を吐き、威嚇するような振る舞いをされた」とだけ書かれていました。逆に息子さんから「こんなもの証拠にならねえよ、あることないこと言うと名誉棄損で訴えるよ」と言われてしまいました。

《解説》
■事実をありのままに記録しなければ主張さえもできない
Hさんの暴言や暴力の記録には「H様がM様にひどい暴言を吐き、威嚇するような振る舞いをされた」と書いてあり、この表現の曖昧さを「こんなもの証拠にならない」と息子さんに一蹴されてしまいました。ではもっと正確に記録されていたら証拠になるのでしょうか?証拠能力があると第三者が判断するためには、他の基準も満たさなければなりませんが、それ以前にこの曖昧な表現では、サービス提供拒否の主張すらできなくなってしまうのです。
 介護業界では、「サービス記録の書き方」など数年前から記録の重要性について、徹底が図られてきましたが、未だにこのような記述が目立ちます。「暴言を吐いた」「暴力的な行為をした」と間接的な表現ではなく、どのような言葉を言ったのか直接話法で正確に書かなければなりません。「ばかやろう」という発言と「ぶっ殺してやる」という発言では、事業者側の対処が全く異なるからです。
例えば次のような表現が介護記録などに散見されますが、いずれも正確さを欠く記録であり、トラブルが生じた時に事実の主張ができません。
・卑猥な言葉を話された、卑猥な行為をされた×⇒(書き辛くても言葉や行為を具体的に記述する)
・激しい言葉で罵った、暴言を吐いた×⇒△△さんが「〜」と言った。
・M様とS様が言い争っていた×⇒牧田様が斎藤様に「うるさいからあっちへ行け」と言い争いになった(実名で記入)。
・CwがNsにFa連絡を依頼した×⇒山田介護職員が安田看護師に家族連絡を依頼した(略語は使わない)。
・居室から大きな音が聞こえた×⇒居室でドスンという鈍い音が聞こえた○
・居室で不潔行為があった×⇒(どのような不潔行為なのかを具体的に記述する)
・痛みの訴えは無かった×⇒「痛みはありますか?」と尋ねると「ない」と答えた○
・家族が事故についての不満を訴えられた×⇒家族が「事故の責任を明確して欲しい」と言われた○

■サービス提供を拒否するケースを事前に説明すべき
 介護保険サービスは事業者と消費者(利用者)の契約ですから、正当な理由があればどちらからも契約の解除(サービス提供の中止)を求めることができます。ただし、ご存知のように運営基準という法令によって、「事業者は正当な理由なくサービスの提供を拒否してはならない」と定められており、他の業界の契約と異なり事業者からのサービス提供拒否が制限されています。問題は「どのような理由があればサービス提供を拒否できるのか」が事前に利用者側説明されていないことです。行政・福祉サービスのように、何があってもサービスが受けられるだろうと考える人も少なくないのです。
 そのため、本来サービス提供を拒否すべきケースなのにズルズルと継続し、たった一人の迷惑行為や暴力行為が原因で、他の利用者がサービスを利用できなくなったり、職員が辞めてしまうなどという事態も起きています。介護事業者はサービス提供を拒否するケースを明確にして、これを契約時に説明しておかなければなりません。では、どのようなケースであれば事業者からサービス提供を拒否ができるのでしょうか?運営基準の「サービス提供を拒否する正当な理由」とはどんなケースなのでしょうか?

■サービス提供を拒否するケースを具体的に明示する
まず、本事例のハヤシさんのケースではサービス提供を拒否する正当な理由があるのでしょうか?相手を特定して「おまえぶっ殺してやる」というのは脅迫罪(刑法222条)に該当しますし、シャツの襟をつかんで握り拳を顔に押し付ける行為は暴行罪(刑法208条)に該当します。刑法の犯罪に該当する行為を他の利用者に対して行ったのですから、サービス提供を拒否する正当な理由になることは間違いないでしょう。
では、他のケースはどうでしょう?介護事業者はどのようなケースで、サービス提供の拒否ができるのでしょうか?また、どのような手続きを踏んで拒否すれば良いのでしょうか?次の事由がサービス提供を拒否する正当な理由に該当すると考えられます。
①事業者の事業の運営に著しい支障が生じるような行為を利用者が行った時
②契約の信義則(契約当事者の信頼関係)に反する行為を利用者が行った時
③契約書の「事業者からの解約解除」の事由に該当する時
④利用者が従業員や他の利用者に対して、法律に抵触する行為(特に犯罪行為)を行った時
 上記の事由に該当し事業者から契約の解除を申し出る場合、ケアマネジャー(場合によっては地域包括支援センター)などと連携して、他のサービス利用などの生活支援の方法を検討しなくてはなりません。また、上記の行為があったとしても事業者はいきなりサービス提供拒否を通告するのではなく、利用者側に改善を促す努力を尽くすべきことは言うまでもありません。
 
■利用者の猥褻行為に対しても厳しく対処する
 正当な理由があるにもかかわらず事業者がサービス提供を拒否しなかったために、大きなトラブルへと発展する例が増えています。特に、事業者の従業員に対する違法行為を黙認して改善しなかったために、事業員が辞めてしまう例は居宅サービスなどでも多く大きな問題です。福祉の流れを引き継ぐ介護事業者の管理者は、利用者の権利と労働者の権利がぶつかる場合にいとも簡単に従業員を犠牲にしてしまうのです。こんな象徴的なケースがありました。
 ある訪問看護ステーションの看護師に対して、認知症の無い利用者が猥褻行為を行いました。具体的には、看護師のパンツに手を入れて陰部に触れたのです。看護師はありのままを記録して報告したため、管理者は「強制わいせつ罪に該当する」と判断して、ケアマネジャーにサービス提供を拒否する旨を連絡しました。ところが、ケアマネジャーは「看護師を交替して続けられませんか?前の訪看も同じように断られた。訪問介護のヘルパーだって我慢している」と驚くべき答えをしました。
 このケースは介護と医療の職員の権利に対する意識の差が明確に表れています。介護は福祉同様に「加害者であっても援助が必要だ」と寛容に対応し過ぎるのです。児童虐待や高齢者虐待に対しても同様です。たとえ、加害者がハンディのある援助が必要な人であったとしても、刑法の犯罪に該当する行為であれば、強制力を持って直ちにその行為を止めさせなければなりません。加害者にも援助が必要であれば、加害行為を防止した上で援助を検討すれば良いのであって、援助が必要な人の行為だからと許していたのでは、介護事業者の従業員はどんどん辞めて行きます。

お問い合わせ