デイサービスの安全配慮義務は範囲が広い
《検討事例》
Hさん、(68歳男性)は、軽度の左半身麻痺で杖歩行の比較的元気なデイサービスの利用者です。ある8月の暑い朝、Hさんを居宅前で乗せて送迎車が発進しようとすると、“コツン”と小さな音がして軽く車に追突されてしまいました。追突した車両の運転手は謝罪し、送迎車に乗っていたHさんと運転手に「救急車を呼びましょうか?」と言いましたが、Hさんは「大丈夫だからいい」と断りました。送迎車のドライバーは、デイサービスに連絡を入れ「大したことはないので、現場検証が終わり次第Hさんをお連れする」と伝えました。Hさんは警察の現場検証が終わるまで30分以上送迎車内に留まり、珍しそうに車を出入りしては検証の様子を見て、その後も興奮してデイに着くまで話し続けていました。
ところが、Hさんはデイサービス到着直後に悪心とめまいを訴え、血圧を測ると200-120(mmHg)と異常値です。続いて意識混濁が現れたため、看護師が病院に救急搬送しました。Hさんは高血圧の発作から脳梗塞を起こしており、2週間後に退院しその後もリハビリを続けましたが、歩行困難で車椅子全介助となってしまいました。その後Hさんの息子さんから連絡があり「加害者の保険会社から“追突事故と脳梗塞に因果関係はない。その後のデイの対応が問題なのではないか?”と言われた」と言うのです。デイサービスでは「追突事故の被害の責任がデイサービスにある訳がない」と責任を否定すると、息子さんが訴訟を起こしました。
《解説》
■デイサービスの事故に対する責任を検証してみたら
Hさんの脳梗塞による身体の障害に対する責任は誰にあるのでしょうか?追突した加害者は被害車両に乗っていた人の、事故後に起きた脳梗塞の責任まで負うべきなのか検証してみましょう。まず、Hさんは身体に何のショックも受けていませんから、衝突の力によってHさんの身体には何の作用も無かったことになります。つまり、この追突事故とHさんの脳梗塞には、「直接的な因果関係が無い」ことになります。直接の因果関係が無い損害でも、「追突にビックリして転倒した場合」など、因果関係が認められることもありますが例外的でしょう。事故で骨折し入院し肺炎で亡くなっても、死亡は事故の直接の損害とは通常認められないのです。
また、加害者は被害者に対して救急車の要請を申し出ており、警察の届け出も行っていますから、事故発生時に被害者に対して行うべき道路交通法上の義務(事故発生時の救護措置)を全て果たしています。すると、加害者(実際には保険会社)の“事故と脳梗塞には因果関係が無い”という主張は正しいことになり、Hさんの脳梗塞の責任を追突事故の加害者(保険会社)に負わせることは、どうやら難しそうです。
では、息子さんが言うように、Hさんの脳梗塞による損害に対してデイサービスの責任はあるのでしょうか?デイサービスの送迎業務中に起きた事故で利用者に損害が発生し、デイサービス側に過失があれば、デイサービスは債務不履行として安全配慮義務違反の責任を問われます。もし、追突事故が発生した時の送迎車の運転手のHさんへの対応で、安全配慮義務違反があればデイサービスの過失として、賠償責任が問われるのです。
次のポイントで送迎車の運転手の対応の安全配慮義務についてチェックをしてみますが、デイサービスの管理者は「デイの責任もあるのでは?」と主張された時、専門家に相談するなどきちんと事故の責任を検証しなければなりません。契約に付随する安全配慮義務は広範で、しかも多くの疾患を持っているデイの利用者に対しては、健康管理上の配慮も重いのですから。
■Hさんの健康管理上に対するデイの安全配慮義務は重い
次に事故発生時のHさんに対する送迎車運転手のデイサービスの安全配慮義務について、細かく検証してみましょう。デイサービスでは入所施設ほど厳密ではありませんが、ある程度の既往症や疾患などの健康状態の情報を把握し、レクリエーションや入浴など身体への負担がある場面では、基本的な健康チェックを行っています。
このように、デイサービスでは入施設と異なり高度な医療的安全配慮は求められませんが、介護のプロとしての基本的な安全配慮が必要となります。ですから、老人会や趣味のサークルの管理者と同じレベルの安全配慮では困るのです。
ではHさんの場合、デイサービスに求められる健康上の安全配慮義務はどのようなものでしょう?まず、Hさんは脳梗塞の既往症があり血栓予防薬を飲んでいますから、脱水や低カルシウム血症などには注意しなければなりませんし、打撲などの内出血でも注意が必要です。また、高血圧症もありますから、血圧上昇につながる激しい運動や高温の環境には注意が必要です。血圧降下剤として利尿剤も飲んでいることから、脱水には特に注意が必要でしょう。
ところが、事故発生時には現場検証などが必要になり、Hさんも送迎車内で30分間待たされてしまいました。Hさんは高血圧症で多発性脳梗塞の既往症がありますから、事故現場の車内に30分以上も留め置かれて、車内から出たり入ったりすれば血圧上昇と脱水が起こるかもしれません。珍しい体験に興奮すれば血圧上昇に輪をかけます。
このようなHさんの健康状態に配慮すれば、Hさんを目の前の居宅にいったん戻して涼しい場所で落ち着いてもらうこともできたはずですし、デイのスタッフを呼んでHさんだけ先にデイにお送りすることもできたはずです。もし、事故の現場検証で暑い現場に長時間留め置かれたことがHさんの脳梗塞発症の原因だとすれば、事故現場における運転手の判断は安全配慮義務を怠っていたとみなされても仕方ありません。
■どのようなアクシデントにどう対応するのか、具体的なルールが必要
さて、本事例の場合運転手の事故現場でのHさんに対する配慮を欠いていることも問題ですが、そもそもこのような状況で運転手に全ての判断を委ねて良いのでしょうか?送迎車の運行中には様々なアクシデントが予期されます。運行中に利用者が体調急変を起こすかもしれませんし、軽い事故でも動転して持病の心臓病が悪化するかもしれません。もちろん対応する運転手の能力にもよりますが、最近では外注や嘱託の運転手など介護の知識の乏しい運転手が多く、正職員が運転しているケースは少ないのが実情です。
このような介護の知識や利用者の疾患の情報を知らない運転手に対して、送迎業務中にアクシデントが発生した時、自らの判断で適切な対処を期待することに無理があるのです。多くのデイサービスでは、送迎中の予期せぬアクシデントが発生した時は、「デイに連絡を入れスタッフの指示に従う」と徹底しているから大丈夫、と言うかもしれません。
しかし、運行中に最後列のシートの利用者の姿が見えなくなり、施設に到着した時はシートに横たわっていた、という事例もあります。施設に連絡すべきアクシデントが明確になっていませんから、運転手はアクシデントの発生に気付かないのです。これではデイに連絡を入れられません。また、運転手からアクシデント発生の連絡が入っても、対応したデイのスタッフが自らの判断で適切な対応ができる保証がありません。このように、「送迎時のアクシデントへ対応方法」が場当たり的で、基本的なルールが無いことが、本事例のようなトラブルの大きな原因となっているのです。