感染症による死亡の過失を立証するのは困難だが・・・
《検討事例》
Bさん(95歳女性)は要介護5で自発動作の少ない重度の利用者で、胃ろうを造設している特養に入所しています。施設では11月から各居室に多くの家庭用の加湿器を設置し加湿することで、インフルエンザの感染防止に努めています。また、家族にも感染症防止のため極力面会を控えるよう通知しています。ところが、1月5日に3人のインフルエンザ感染者が発生し、居室配膳などの感染拡大防止策を図りましたが、完全に居室内に隔離することができませんでした。それ以降施設内では、感染者が10人に増え、Bさんも38度の熱を出しました。インフルエンザを疑いましたが、その後熱も上がらず他の症状も見られないことから風邪と判断しました。1月15日に娘さんが「新しい下着を買ってきた」と久しぶりに面会に来ましたが、インフルエンザの感染者が発生していることを理由に、面会を断り下着を預かりました。Bさんの容態については、風邪で38度の熱があるが心配ないと説明しました。
ところが、その3日後の朝9時に施設から娘さんに突然電話が入り、「お母様の容態が悪いので病院に来て欲しい」と言います。娘さんが病院に駆けつけると、医師は「肺炎で今夜が峠です。どうしてこんなになるまで放っておいたのか…」と告げました。Bさんは2日後に亡くなり、医師はインフルエンザの感染による肺炎の併発が死因であり、もっと早く受診すべきだったと言いました。
Bさんの娘さんは「私が面会に行った時母のインフルエンザ感染を隠すために面会を拒否した。受診が遅れて死亡したのは明白」と、看護記録の提出と説明を求めました。すると、受診の前夜0時に著明な喀痰と喘鳴がありSPO2が88まで下がっていることが分かりました。娘さんは「肺炎への対処が遅れたことに過失は明白、施設の責任を追及する」と言っています。
《解説》
■重度の利用者は感染症を発症しても症状が分かりにくい
「胃ろうで全介助、自発動作も僅か」という利用者は、感染症に感染し発症しても症状が出にくいと言われています。インフルエンザ固有の症状は、突然の「高熱」や、関節痛、筋肉痛、頭痛、全身倦怠感、食欲不振などの「強い全身症状」ですが、これらの健常者ではインフルエンザ感染時に見られる特徴的な症状が、自発動作の少ない重度の高齢者では全く出ないことがあります。感染症で強い症状が出るのは感染症のウイルスに抵抗する体力や免疫力が十分にあるからで、体力・免疫力の低下が顕著な高齢者は感染して発症しても顕著な症状が出ないケースが多いのです。
肺炎の併発でも同じことが言えます。施設では「前夜0時に著明な喀痰と喘鳴、SPO2低下があり、翌朝緊急受診させた」と言っています。しかし、いくら免疫力が低下した利用者でも、発症後9時間でこれほど重篤な状態になるでしょうか?肺炎についても、著明な症状に気付く以前から肺炎に感染し症状が進行していたのに、気付くのが遅れた可能性があります。肺炎の受診遅れとBさんの死亡の因果関係が立証されれば、おそらく施設は過失として賠償責任を問われるでしょう。
ある施設では、胃ろうで寝たきりに近い利用者に対しては、介護職が巡回時に表情や呼吸の状態をていねいに観察し、変化があれば看護師によるバイタルチェックを行うというルールを作りました。また、高齢者ではバイタル値の個人差が大きいため、平常時バイタル一覧表を作りその乖離が大きい場合は受診としています。
■面会による感染の防止は家族の自主的な配慮に任せ面会制限はしない
「感染症の防止のため」という理由で、施設は家族の面会を制限することができるでしょうか?もちろん、インフルエンザを発症している人がマスクも付けないで面会に来られては困ります。しかし、高齢者施設より厳重な感染管理が要求される病院でさえも、家族の面会を制限できるのは本人が重篤な状態で医師の指示(面会謝絶)による場合など、ごく限られたケースだけです。精神福祉法においても、保護入院や措置入院の精神疾患の患者に対する通信や面会の制限を規制しているのです(36条・37条)。ですから、高齢者施設では入所者の感染症防止のためであっても、家族の面会まで制限するのは行き過ぎで、面会による感染の防止については家族の自主的な配慮に任せるべきでしょう。
ところが実際には、「高齢者は抵抗力がない」などと一方的な判断根拠で面会を事実上制限している施設があります。本事例のように、面会を制限している期間に本人に重大な変化が起きれば、「施設は知られたくないことがあるので面会させなかった」と必ずトラブルになります。家族にとって“見えないものは分からない、分からないものは不審に感じる”のですから、容態変化の連絡もせずに急変すれば「隠していた」と受け取られます。
最近介護付き有料老人ホームでも、キーパーソンの家族の要望を安易に受けて、施設が特定の家族の面会を拒否したため大きなトラブルになりました。本人が家族に会いたくないと意思表示をしていない限り、施設が家族との面会の制限はできないことを徹底した方が良いでしょう。
■行き過ぎた感染防止対策より低免疫力者への重度化リスク対策を
胃ろうの利用者や寝たきりで重度な利用者は、感染のリスクが高い訳ではありません。免疫力・体力の低下している利用者は、発症リスクと重度化リスクが高いのです。高齢者施設の感染症対策全般に言えることですが、「施設に感染症を入れるな!」と感染防止ばかりに気を取られていますが、発症リスク対策と重度化リスク対策はなおざりなのです。
そもそも感染症対策は、次の3つのリスク区分に分けて効果を検証して実施しなくては、効果的な対策はできません。
①感染リスク対策:感染(体内に病原体が侵入する)防止のための対策で、感染機会の低減と衛生行動が中心となる。
②発症リスク対策:感染症に感染した時発症を抑制する対策で、予防接種や免疫力や体力の維持が中心となる。
③重度化リスク対策:感染症を発症した時重度化を防ぐ対策で、発症の早期発見と受診、慢性病の悪化や肺炎の併発の防止対策が中心となる。
このように3つに区分して対策を検証すれば、本事例の施設は感染リスク対策に偏り行き過ぎた面会制限を実施しているにもかかわらず、発症リスク対策や重度化リスク対策が欠落していることが分かります。肺炎の併発の原因の8割が肺炎球菌への感染ですから、肺炎球菌ワクチンの接種も重度化対策では大変有効です。また、胃ろうやターミナルの利用者など重度化リスクの高い利用者が増えているのですから、高齢者施設でもゾーニング(衛生管理レベルを患者の感染リスクに合わせて区分すること)という考え方が必要になるのではないでしょうか?
■高齢者施設の感染症対策は見落としだらけ、見直しが必要
前述のように高齢者施設では、感染防止対策に偏り重度化対策が遅れていることも問題ですが、全体的に対策の効果が検証されておらず、ムダな対策や見落としが多いことが大きな問題です。例えば、家庭用の加湿器を各居室に配備して1日に何度も給水作業に追われている施設を見かけますが、加湿によるインフルエンザの感染防止効果は検証されているでしょうか?インフルエンザウイルスへの対策で加湿効果が有効なことは証明されていますが、相対湿度で40%以上確保できなければインフルエンザの感染防止効果は期待できませんから、30%程度の加湿しかできないほとんどの施設では効果が無いことになります(※)。
また、家族に感染防止のために面会制限を行っておきながら、かかりつけ医への定期受診などの際1時間も狭い診療所の待合室に滞在しています。感染機会が最も高い場所は満員電車よりも診療所の待合室なのです。車の中で待機して順番になったら呼んでもらえば、感染リスクは大幅に改善することができます。同様に「ノロを施設に入れるな」と声高に対策を呼びかけながら、一方で食事介助を行う職員の着衣が、他の介助時と同じものなのです。袖なしのエプロンではなく袖のある上着を着用しないのでしょうか?
このように、高齢者施設の感染症対策は、その効果や見落としなどの検証がされないまま漫然と行われているケースが大半です。対策の見直しにより職員のムダなロードを減らすことも、より良いケアの提供につながるのではないでしょうか?
※「高齢者福祉施設等における感染症予防のための環境衛生管理(多摩府中保健所)」より