転倒事故で骨折し入院肺炎で死亡、キーパーソンの長男は納得したが次男が訴訟を起こした

事故後の家族トラブル対策

死亡事故になると兄弟が異議を唱える

《検討事例》
重い認知症のNさん(男性89歳)は、半身麻痺は軽く車椅子から立ち上がり、他の利用者を叩くなどの迷惑行為をするので、職員は絶えず注意を払っています。キーパーソンの長男は穏やかな方で、Nさんの暴力などで、施設に迷惑をかけていることを申し訳なく思っていました。ある時、機械浴の介助中にNさんが職員の腕を強く握ったため、職員が振り払おうとしてストレッチャーから転落させてしまいました。病院に救急搬送しましたが、大腿骨骨折と診断され入院の上手術をすることになりました。
施設では、入院中も施設職員が見舞いに訪れ様々な援助をしたので、日頃から施設に好意的なキーパーソンの長男は、治療費などの請求もしてきませんでした。しかし、その後入院先の病院で急激に身体機能が低下し衰弱が激しくなり、入院から2カ月後に肺炎で急死してしまいました。
Nさんの葬儀に参列した施設長に対して、東京に住んでいるという次男が「父の転倒・死亡事故について施設に法的責任があるのではないか?」と言いました。長男は「施設のみなさんには本当に良くしていただいたのに失礼なことを言うな」とたしなめました。葬儀の後にも長男が施設にやってきて、「次男は大学から東京に行ったままほとんど戻らないので、こちらの事情が分からず失礼をしました」と恐縮していました。ところが、1カ月後次男が施設を相手取って「Nさんが転倒して死亡したことについて施設に過失がある」と賠償訴訟を起こしました。
《解説》
■過失が明らかな事故では迅速に謝罪し賠償の意向を示すことが重要
この事故の家族対応の最大の問題点は、職員が介助中に利用者を転落させるという過失の大きな事故にもかかわらず、キーパーソンの長男が施設に好意的で責任を追及してこないことに甘えて、施設の法的責任を明確にして謝罪や賠償を行わなかったことです。骨折事故と肺炎での死亡には因果関係がありませんから、原則的に施設はNさんの死亡の責任を問われることはありません。しかし、この骨折事故に対する施設の責任をうやむやにしたままNさんが亡くなったことで、次男から「骨折して死亡させた」というような乱暴な理屈で訴訟を起こされてしまいました。
 事故が発生した後、事故状況や施設の法的責任を迅速に説明して謝罪し、家族が事故に対する施設の責任や補償について了解すれば、予後の経過が悪く不測の結果が起きてもその責任まで追及することは難しくなります。しかし、今回のケースのように転倒事故に対する納得の行く説明がないまま、骨折後に入院先で死亡するようなことになれば、事情を良く知らない他の家族が相続権を持つ利害関係者となり、多少乱暴な理屈でも施設の責任を追及してくるかもしれません。
 たとえ理不尽な理屈の通らない主張であっても、訴訟の被告となれば施設も大変な労力を強いられますし、大きなイメージダンになります。また、判例にはデイケアの送迎時の転倒骨折事故と入院先での肺炎による死亡(骨折から4カ月後)の因果関係を認めた判例(※)もあるのですから、このケースでも利用者の死亡の責任を問われない保証はありません。
※平成15年3月20日東京地裁判例では「一般に老年者の場合骨折による長期臥床により肺機能低下、誤えん性肺炎などを発症する虞があり、大腿骨頸部骨折を負った後肺炎を発症し、最終的に死亡に至るという経過は通常人が予見可能な経過である」として転倒骨折事故と死亡の因果関係を認めています。

■利用者が死亡した場合キーパーソン以外の家族への配慮も大切
さて、この事例のもう一つの大きな問題点は、次男が施設の責任を追及しようとした時、キーパーソンの長男が施設の責任追及をしてきた次男を諌めようとして、施設の肩を持つような発言をしたことです。キーパーソンの長男が「施設のみなさんには本当に良くしていただいたのに」と次男をたしなめたことは、施設にとってプラスに働いたのでしょうか?
 実はこの場面で、施設は大きな判断ミスをしました。施設と信頼関係が厚く施設の味方をしてくれるキーパーソンの長男が、この頑なな次男を説得してくれるだろうと考えてしまったことです。次男からしてみれば、施設職員の大きなミスによって父親が骨折して入院し、入院先で亡くなってしまったのに、長男は施設に対して何の責任追及もしないのですから、「施設はお世話になっているという意識が強い兄をうまく丸め込んでいる」と感じるでしょう。
 長男が施設の肩を持ち、次男を諌めようとしたことが、訴訟に発展した本当の理由かもしれません。つまり、次男は兄に任せておいても信頼できない、と考えたのかもしれません。もし、長男が次男を諌めた時に、施設側がこの次男の気持ちを察して「弟さんの言い分ももっともなことですから、事故の原因や施設の過失責任については、弟さんの納得行くまでご説明させていただきます」と、対応したらどうでしょう?少なくとも訴訟は避けられたのではないでしょうか?
 
■理屈の通らない主張の多くは説明不足による事実誤認から生まれる
次に、次男は施設長に面と向かって「父の転倒・死亡事故について施設に法的責任があるのではないか?」と主張しました。「転倒・死亡事故」という言い方は、転倒して頭部を打撲して救急搬送先で亡くなったような場合は当てはまりますが、今回の事故のケースでは当てはまりません。転倒・骨折事故が発生し、入院先の病院で2カ月後に肺炎で亡くなった」というのが客観的事実です。
しかし、父の転倒事故が発生した時に次男は離れた場所に暮らしていて、2カ月後に病院で父が急死して駆けつけたのですから、次男がこの事故後の経過について詳しく理解してないかもしれません。施設は事故後の経過についても次男の納得の行く説明をしなければ、事実を誤解したまま理屈の通らない権利主張をされるかもしれません。必要があれば病院の医師にも依頼して、肺炎で死亡したことには持病の影響などが無かったのかどうかなど、予後の経過説明をしていただくことで、次男の誤解も解けたかもしれません。

■キーパーソンよりも身元引受人への説明も軽視しない
多くの場合、入所施設の利用者には「キーパーソンの家族」という人がいます。施設と利用者との関係に日常的に関わる家族であり、緊急連絡先の家族でもあります。このキーパーソンの家族と施設の信頼関係がなければ、施設の業務運営はうまくいきませんから、管理者も「キーパーソンの家族との日常の信頼関係の構築が大切だ」と口をそろえて言います。しかし、キーパーソンの家族と信頼関係が構築できていれば、事故後にトラブルを避けられるかというと、決してそうではありません。本ケースのように、かえってキーパーソンの家族との信頼関係が、他の家族との関係において裏目に出ることもあり得るのです。
こんなトラブルがありました。利用者がショートステイで転倒し差し歯を破損する事故が起きた時のことです。この利用者のキーパーソンの家族は、利用者の息子さんのお嫁さんでしたが大変遠慮深い人で「いつもお世話になっております」とばかり言う方でした。この転倒事故の後もキーパーソンのお嫁さんは、差し歯の修理代も請求してきませんでしたので、そのまま何の対応もしませんでした。すると息子さんが、突然市に苦情申立をしたのです。苦情申立には「日頃から世話になっていて強いことが言えない妻の弱みに付け込んでいる」と書かれていました。
施設では、日頃からコミュニケーションが取りやすいキーパーソンの家族に依存してしまいがちですが、トラブルになりやすい事故などでは、利用者の保護者であり代理人である身元引受人(保証人)の家族への説明も欠かせません。

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